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テレワークの課題は [働く]



 今、『ルポ 新大久保』という本を読んでいます。帯によると大久保地域の「人口の35%が外国人」だと記されています。ルポという分野は元気がない分野だと聞くので、できるだけ読んでみたいと思う。出版界の経済事情が厳しいからルポライターでは採算が取れないのかもしれませんが。ルポルタージュが元気なころは、景気が良かったのだろうか。 テレビで、テレワークで働く人の体の変調について取り上げていました。テレワークという存在が急速に定着していますので、社会のルールも手探り状態だと思います。障害者にとっては、通勤により働くということが崩れたことは大きいことのように見えますがどうでしょうか。次のような意見を読みました。 「政府はさらに、テレワークを活用しながら自然豊かな観光地などで働く「ワーケーション」も推進しようとしている。既に本年度補正予算において『地方公共団体・事業者向け支援事業』を実施 し、そこでは、『国立・国定公園及び国民保養温泉地における誘客やワーケーションの推進を支援し、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けている地域経済の再活性化を目的に補助事業を実 施』している。こうなると、もはや『労働』や『労働時間』という概念自体が融解してしまっている。 自然豊かな場所で仕事をすると言えば聞こえはい いが、仕事がどこまでもプライベートに侵食してきて歯止めがかからなくなってしまう苛能性もある。 また、テレワークには機材が必要だが、これを誰が負担するのかということもあるだろう。企業から 見れば通勤手当もいらなくなったが、通信機器は 労働者持ちではたまらないだろう」(「すべての人の社会2021.1月号・日本障害者協議会社会の「進歩」は人々を幸福にするか?働くこと、あるべき社会を考える 長谷川利夫 杏林大学教授」  鉄道会社などは労働者が通勤することで経営が成り立っています。通勤がないとする社会は喜ぶ人もあれば、経営にダメージをもたらす可能性があります。社長の若返りを決めた鉄道会社も出てきています。労働の変質は働く人の意識を変えていくことになるのでしょうか。テレワークに馴染む企業となじまないところでの労働者の意識にどのように反映していくのでしょうか。見てみたくもあり、見たくないようにも思います。 ひとつ見えてきたものは、「時間や空間に制約」(同前)されないので働き放題になることによる「一億総活躍」に取り込まれていく姿が見えてきます。

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ボランティア活動を支える仕組み [寛容な社会]



新聞の電話投稿欄に、過日の雪の日の病院帰りのバス停で待っていたら、車が止まり、乗っていかないかとのお誘いをいただいた。難儀していて喜んでお礼を言ったら、お互い様ですからと返ってきたという。ほっこりする話が時々載っています。犯罪に巻き込まれないかと不安にもなりますが、お互い様の言葉は心地よいです。 「コラム 社会全体で支える仕組みを、ひょうごボランタリープラザ所長高橋守雄氏 2021/1/17西日本新聞 」からです。 「内閣府が行った2011年の東日本大震災(以下3・11)のボランティア数の減少要因の調査で、交通費や宿泊費が嵩(かさ)んで「行きたい気持ち」はあるが「行けない」と答えた人が全体の4割を超えた。  そこで「ボランティア元年」の発祥地・兵庫から「支援する人を支援する社会」の構築を目指し14年に「3・11」の被災者と共に全国で署名活動を展開し、集まった35万の署名とともに国などに交通費・宿泊費支援の制度化を要望してきた。しかし、国の動きは鈍かった」という。政治家とカネにまつわる不祥事が続く中で、国の動きの鈍さはどういうことだろうか。 コロナで行きたいけれど行けなかったという人もいるでしょうが、交通費・宿泊費の負担が大きいという。兵庫県では、財源を「ふるさと納税」にしたボラティア支援制度をつくったという。国の反応が良くなかったとは驚きました。どこが不満なのでしょうか。

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高齢者にお金がかかるのか



 日本のお年寄りは病院にたむろしていると言われます。それをけしからんという人がいます。喜んで病院にたむろしていることはないと思います。年寄りの多くは病を抱えています。 ところで、コロナ禍で明らかになったことは、保健・医療体制の脆弱さです。保健所機能の後退により検査体制が整いませんでした。医療機関の受け入れ体制は脆弱であることが浮き彫りになっています。保健・医療・福祉の公的負担を削って「小さな政府」を目指した結果ではないでしょうか。 日本では、高齢者の医療費がかかるから若者の負担が大きいと政府は言うが、ジャレド・ダイアモンド氏は次のように述べています。 「若者の負担についてですが、世界中のすべての若者は日本より自国の高齢化を負担に感じていると思います。日本の高齢者は、世界のどの国の高齢者より健康です。長寿国といっても、日本の高齢者の健康状態は『エクセレント』ですから、世界のどこよりも若者の負担は少ないのです。世界に目を向ければ、日本の高齢化は日本人が思っているほど大きな問題ではありません」(「コロナ後の世界」) 日本ではお金のかかる高齢者というイメージがあります。本当のところどうなのでしょうか。政府の増税の仕組みからすれば、例えば、消費税では、お年寄りにカネがかかると言いながら、そこにお金が「適切に」使われているのでしょうか。
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「もったいない」 [環境]


「コラム『もったいない』が基本 藤崎真二 2021/1/15 西日本新聞」の冒頭部分を引用します。  「寒い日には暖房や温水がありがたい。これらのための熱利用が電気の使用量のほぼ半分を占めるという。電気を使わずに部屋を暖め、お湯を沸かせば、その分の電気を他の用途に回せることになる。  2050年までに二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガス排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル(炭素中立)」。その実現を政府が打ち出し、再生可能エネルギーへの関心が高まっている。生物由来の有機資源、バイオマスもその一つ。家畜のし尿や生ごみのほか、間伐材や製材の残材を使う木材資源も主要なエネルギー源である。(以下略)」 バイオマス発電が炭素中立かどうかという問題に関連しているという。炭素中立とは何か。持続可能な社会として国連などが推奨しています。しかし、理念先行しての論議は分かりにくい。 それと、一度便利さを手に入れた社会に手放す便利さの「不便さ」を正面から論議しにくい。 こうした問題の入り口に「異常気象」から説明してもらえたらどうだろろうか。線状降水帯などの50年に一度級の水の被害の説明だと多くの人の関心が得られるのではないか。次世代に残せる地球とは本格的な論議が俟たれます。「もったいない」を基礎にして。

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六本松で [街]


現在、福岡市の裁判所などがある地区は九州大学教養学部のキャンパスでした。近くに企業の独身寮などもありました。 「デスク日記  2021/1/19  西日本新聞 西山 忠宏  福岡市中央区六本松によく通った飲み屋があった。昨年閉店した「ひろ」。キープボトルがあれば千円でお釣りがくる安さも良かったが、最大の魅力は1人で切り盛りする玲子ママ(年齢は秘密だったが多分90歳近く)だった。  「毎晩来て大丈夫?仕事を干されているんじゃないの」と毒舌を何度も浴びせられた。一方で、別の店をはしごした後に訪ねると「最後はここに帰ってきてくれるようで、うれしいよ」と営業終了直前でも優しく迎えてくれた。(以下略)」  独身者が多いので、飲食店も多かった。その一角に私の独身寮もありました。また、行きつけの飲み屋もありました。私が通った飲食店のママさんも元気なら90歳過ぎだろうか。 ◆今日気になったこと 新聞の電話投書欄に、スマホの料金割引が大容量の部分が値引き競争をしているようだが、メール月数本ぐらいの年寄りには恩恵に与らないのだという。3Gのケイタイから4Gのスマホにようやく乗り換えた身としては、値下げより3Gの延長が良かったように思うが。 貴景勝は休場になりました
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お互い様 [寛容な社会]


西日本新聞投稿欄に「再開発の天神優しさ残して」というのがありました。新天町と再開発地域との一体の再開発の報道があったとの関連のようです。新天町のいくつかの店舗とその思い出との重なり、広辞苑を買ってリュックサックに背負って帰ったなどの思い出が書かれていました。広辞苑を昔私も買いました。どのようにして運んだのか失念しました。今でも本棚にあります。昔、洋食のレストランがあり、食事したことなど記憶に残っています。 「思いがけない〝お年玉〟2021/1/16 西日本新聞 ふくおか都市圏版 吉田 修平  年初から、やってしまった…。息子と2人で大濠公園を訪れた。汗ばむほど遊んだ後、有料駐車場を出ようとしたときだ。「220円」と表示された精算機の前で絶句した。財布には1万円札と小銭が数十円分。機械の側面には「5千円札、1万円札は使用不可」の張り紙。うかつだった(以下略)」 すぐ後ろにいた高齢者夫婦が支払ってくれて「よかよか。私たちも同じような経験はあるけん」といって去られたという。お互い様という感じのようです。こんな記事を読むのもほっとさせる効果があります

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高島野十郎という人 [社会]



「賢いトイレ」の開発が進んでいるという報道があります。トイレぐらい自由な場でありたいというのは我がままでしょうか。食べる物が偏っているとかAIが知らせるというものだという。トイレは自由空間でありたい。   「『視界不明瞭な』今こそ 藤田 中」(2021年1月17日西日本新聞)という記事に共鳴しました。画家、高島野十郎の生誕130年展に関連しての記事です。 「久留米市美術館で久留米出身の画家、高島野十郎の生誕130年展も開催される。その中でも、高島野十郎は私にとって忘れ得ぬ画家である。文化部記者をしていた2011年、彼の足跡を首都圏、地元に追い「凝視の先に」という連載を書いた経緯もある。私は彼の作品を初めて見たとき、大きな衝撃を受けた。まず暗闇に燃える1本の蝋燭の絵を見て立ち止まった。果物の桃を描いた静物画では、ビロードのような感触そのままに再現されている桃の実の産毛にうなった。(中略) 生涯独身で美術団体にも属さず、千葉の畑に建てた粗末な小屋で絵を描き、一人無名のまま亡くなったこと」 高島野十郎のことを最初に聞いたのは、千葉の粗末な小屋の模様でした。久留米出身の画家としてテレビで紹介されたのを見ただけでした。その後しばらくして、福岡県県立美術館で2度ほど展覧会のローソクの絵に引き込まれました。政治とカネに見られるように、金銭の授受さえも、納得出来ない領収書のことなど、腐臭がただよう世界とは違う世界を生きた人としても尊敬に値します。今でいうなら中村哲氏のような人のように感じます。藤田氏は「視界不明瞭な時代かにらこそ」生き方を含めて知って欲しいのだと思いました

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喜寿を前に [平和]



 敗戦を1歳で迎えた子どもたちが来年喜寿を迎えます。鬼籍に入る同級生がボチボチという状況です。新聞投稿に「お下がりから兄弟愛が生れた」というのを読み、クラスの集合写真に一人だけ学生服が白っぽく見えたのがわたしだけであったことを思い出した。長男・次男そして三男の私と受け継がれました。その頃、それでも貧乏という感覚は薄いものでした。話は、沖縄戦最終地で戦い、敗れた日の話に変わります。 「戦後76年悲しき日本色 吉田賢治 2021/1/13 西日本新聞」というコラムを読みました。 そして生き延びたことを確認したなかで、沖縄の犠牲、広島、長崎の被爆などの犠牲によって生き残ったということを日頃忘れているようです。 「沖縄戦の激戦地となった沖縄本島南部に残る避難壕(ごう)に、調査団と一緒に入ったことがある。懐中電灯だけが頼りの狭い空間で腰をかがめて土を掘ると、小指半分ほどの大きさの茶色い破片が出てきた。遺骨と教えられた。数十年もの間に変色していた。  命令を受けて勇敢に戦った日本兵かもしれない。幼子を抱えて逃げ惑った住民かもしれない。「鬼畜」とたたき込まれた米兵が迫る中、十分な食べ物もなく恐怖に震えながら落とした命。そして漆黒の闇に埋もれたまま、数十年余もの間の放置。想像を巡らせ、心がかきむしられた。(以下略)」 コラムでは、辺野古の埋め立て用の土砂の採掘場所に沖縄南部を追加するのだという。なんと理不尽なことか。沖縄に過重な責任を負わせるのはどうか。


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知らせない [感染症]


 迷走するコロナ対策。ここにきて罰則付きの案が次々に出てきます。先日、ミヤネ屋で台湾のオードリー・タンIT担当大臣とのインタビューを聞いた。日本との差が際立っていました。ひとつ挙げると、政府は毎日14時から記者会見し、質問が出尽くすまで続けるという。日本は事前に質疑を提出するのが基本だし、時間が来れば打ち切る。国民をどう見ているのだろうかと疑いたくなる。罰則で取り締まるのか、国民に理解を求めるのかが問われています。 「記者コラム コロナ禍の『新たな事故』2021/1/15 西日本新聞 ふくおか都市圏版 華山 哲幸  新型コロナウイルス対策として、どこの店にも置かれるようになった手指用の消毒液。先日、家族で訪れたスーパーの入り口で、自動で吹きかける装置に手をかざした3歳の娘が、急に目を閉じて横を向いた。顔にしぶきが飛んできたようだ▼消毒液は、使いやすいように大人の腰の高さに合わせて設置されている場合が多い。この店もそうだった。ただ、小さな子どもにとっては顔の近くになることもある(以下略)」  娘の目に入ることはなかったという。高低ふたつあればいいですね。私の場合は手が幾分か不自由なので高い方が助かります。

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志とは異なり [高齢者]


「コラム デスク日記 断捨離を始めてみたものの2021/1/12西日本新聞 広瀬 留美 」では、単行本などのところで断捨離は頓挫したという。私もまた妻にせかされて断捨離をはじめてみたものの、単行本になるとスピードダウン。気になる本を再読したら処分しようと思ったのですが、捨てる本があまり出てこないのです。そのままで年末年始に突入。自爆してしまいました。 新聞投書に「忌中」により年賀状は出さなかった人が多かったとありました。「喪中」ではないかと検索したら楽天の情報として次のように説明がありました。 「忌中と喪中  「喪中(もちゅう)」も「忌中(きちゅう)」も、肉親や親戚がなくなった際の喪に服す期間のことですが、この『喪に服す期間』に関してだけ明らかな違いがあります。この違いをざっくりと言えば、『忌中は人が亡くなってから49日まで、喪中は人が亡くなってからおよそ1年間』」とありました。 どうということのない話ですが、ささいなことが気になりまして。ことしは購入枚数と使用枚数(書き損じ含む)の差が2枚未使用となり、喪中挨拶が3枚でした。来年は喜寿となりますので、浮世のつきあいも潮時かと思いますが、あの人は元気にされているのかという思いがあります。来年からはメールでのあいさつを希望する方は登録くださいとの挨拶もありました。
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