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「やめ」とは [自分史]



「全国高校ロボット競技大会、八女工業高が準優勝 2021/11/19 西日本新聞」とありました。福岡県外の人にすれば八女を「やめ」とはなかなか読みづらい気がします。まして、広川町のみしか今はない地域としての八女郡はますます遠ざかっているようです。八女工業高(福岡県筑後市)と八女高校が筑後市にある高校だと思います。
 筑後市では、ソフトバンクホークスの2軍・3軍の立派なホームグラウンドがあります。新幹線駅は筑後船小屋駅だったと思います。在来線と一緒です。私の育った地域です。

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おきゅうと [自分史]


博多の街に7月の暦を重ねると1日の飾り山笠の街角を占有しています。追い山笠は今年も中止になりましたが、オリンピックは良くてなぜなどと難しい話にはならないのだろうか。そんな博多にはおきゅうと、という食べ物があります。コラムを読むまですっかり忘れていました。 「コラム 春秋 おきゅうと、あの脚本家も大好物 2021/7/20 西日本新聞」では、三谷幸喜さんと博多との縁が述べられています。そのひとつがおきゅうとです。おきゅうとはまただ出回っているのだろうか。おきゅうとそのものの説明も難しいので、コラムの説明を引用させてももらいます。かつてビールを必ず飲んでいた頃、供におきゅうとを夏場は食べたものです。 「▼ところてんに似た食べ物の原料はエゴ草とイギスという海藻。主に日本海側で採れる。各地に似た商品はあるが、薄くてあっさりした味は博多だけ。最近は薬味とポン酢で食すのが主流らしい▼発祥の地とされ、おきゅうと店が軒を連ねた箱崎は九大生の町だった。下宿の賄いに出てきた頃は苦手だったが、大人になって食べたらおいしくて、と懐かしの味を取り寄せる人もいる▼おきゅうと、の平仮名も、声に出したときの響きも、どこか懐かしくて涼しげだ」


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高血圧の対応 [自分史]



 服薬していても血圧が高くなることがあります。主治医に電話することの他に自前の対応策です。5月17日は「高血圧の日」だそうです。日本高血圧協会が定めたものだそうです。 朝と夜2回の測定をした記録をします。高血圧協会が作成した「血圧手帳」に記録しますが、毎日のことで忘れそうになります。血圧手帳に記載するときに自分だけのメモをエクセルに記入します。血圧が高くなったときの対応策などです。 ①玉ねぎを食べる  昼食時に玉ねぎ1個食べる。昼食時なのは自分で前の日の残りなどですませるからという理由です。結果は翌日の昼頃確かめます。通常二日連続くらいです。 ⓶リンゴ黒酢を麦茶に入れて飲む。  目分量とういうか、すっぱくても飲める程度の酸っぱさで飲みます(当たり前ですが)。2日以上。4から5日程度様子を見ています。 早目に主治医と相談できることが大切ですが、いつもより少し高めというぐらいの時に役に立つかもしれません。

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動物園3回説は [自分史]



「コラム 春秋 動物園見学は一生に3回?2021/4/30 西日本新聞」というのを紹介しています。「1回目は親に連れられて、2回目は遠足、3回目は自分が親になって子を連れて。つまり、人は一生に3回、動物園へ行くという話だ」との説です。 私に当てはめると、1回目は今の大牟田市動物園。このコラムでも「動物福祉」に熱心なとして紹介されています。2回目の遠足は記憶がない。田園地帯ですので福岡市にでかけるしかないのでは。修学旅行で高崎山のサルを見た記憶は残っています。3回目は自分が親になっては福岡市動物園などに行きました。父も、私も、子どもの教育に熱心だと言えませんので、連れて行ったぞーと自慢しているわけではありません。それでも、大牟田市の当時はたしか延命動物園と呼んだのではないでしょうか。入り口で写真を撮っていたのを記憶していましたので、それなりに楽しかったのだと思います。どうせ覚えていないと手を抜くといけませんね。自分に戻ってきますが。

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ツツジが花を落とす頃 [自分史]


ツツジが道路に落ちてきました。「ナンジャモンジャ」と名付けられるヒトツバタゴが遅れまいと花を咲かせています。数日前、朝ドラは離婚問題というややこしい話になっています。それを見終わって散歩に出ると花たちが我遅れじと満開です。朝ドラを見終わって少し蒸し暑い空気がただよっています。リタイア組の散歩がテレビを観終わった頃に重なり合うようです。 新聞の連ドラの次週予告欄によると「お父さんはお人好し」の出演交渉だという。1954年12月13日 ― 1965年3月29日の間放送されたそうですから生で聞いた私の記憶に間違いがないようです。私の一家もラジオに聞き入りました。もう鬼籍に入ったひとが多くなり、病弱だった私などが残っています。 ドラマはこの辺りから史実と接近を強めるのでしょうか。

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喜びも悲しみも [自分史]


人生終末期に来た体の不調・間もなく来るであろう死とその関連の雑多なことなどがあり、想定外のことが多く、老後の生活とは容赦なく訪ねてくるものらしい。その意識があるからか手元にある本も「生きるコツ」(姜尚中著)、「在宅ひとり死のススメ」(上野千鶴子著)など、意識しないのに老いの生き方に関するものが増えています。 古希を迎えた姜尚中氏の思い出と重なり、若き日というか幼い日とかを思いだました。 映画『喜びも悲しみも幾年月』を農家の前の広場で見た記憶が蘇ってきました。主題歌を覚えてしまいました。歌手 若山彰さん 作詞作曲  木下忠司さん。1番だけでもつぎのように短いものです。 「俺らの岬の 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の 無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす」 姜尚中氏はこの映画についてふれたところは 「木下恵介監督の往年の名作映画『喜びも悲しみも幾年月』で流れる主題歌の歌詞にあるように、ともに過ごした歳月の喜びや悲しみが目に浮かび、妻と私は、やはり何か計り知れない見えない糸で結びつけられているという感慨が湧いてくる」とあります。
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ボクの朝 [自分史]


土曜日の朝の楽しみ「サワコの朝」が終了しました。いろんな分野の方のトークが聞けるし、阿川さんの聞き出す力みたいなものを強く感じました。ゲストの「今、心に響く曲」「記憶に残る曲」の紹介なども楽しみでした。CMの物語りがやさしく感じます。松下グループからパナソニックに変わって何年になるのだろうか。松下電器も遠くなりけりか。  日曜日の朝の楽しみは、西日本新聞のコラム「永田健のななめ読み」です。友だちが極端に少ないと述べてみたり、その時々の問題意識が重なることもあります。こう言ったら「また自慢して」となりますが、中身が違います。毎回教えられることばかりです。  最後にプロ野球の結果というより、ヤクルトに移籍した内川選手の結果を新聞で確認することが増えました。福岡のソフトバンクホークスはローカルで沢山ありますがヤクルトは情報が皆無です。 以上がアサの関心の変化です。

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久留米との縁 [自分史]




久留米と言えば・・・。育った所が久留米藩と柳川藩との境で、久留米側です。だからといって、深い思い入れがあるわけじゃありません。 「コラム デスク日記久留米入城400年 2021/3/13 野村 大輔 江戸時代の1621年、初代久留米藩主の有馬豊氏(とようじ)が久留米へ入城した。有馬家は以後、250年間にわたり藩を治め、明治期に東京へ移り住んだ。久留米との関わりは昔よりも薄れたが、16代目の現当主頼央(よりなか)さん(62)は「久留米は心の古里」と話す。(以下略)」  久留米大学病院で、てんかんと診断された時に病院から篠山城址を見上げた思い出しかありません。毎月通院する場合にその都度休暇をとることが許される雰囲気が、一般的になかったように思います。保険診療にしていたか記憶が曖昧です。そんな訳で、母が代理で薬を取りに行きました。母は城址をどういう気持ちで眺めたのでしょうか。あるとき、久留米に行くのがつらくなったと母はつぶやきました。 その頃、福岡市辺りのクリニックも土曜診療が普及し始めていました。やがて土曜日半ドンから週休2日制も増えていました。時代が助けてくれました。 ◆気になるニュース?  ニュースでなく新聞の投稿欄からです。教員からです。障害をもつ子どもがいて、エレベーターが必要なのだという。学校はいざというときの避難場所になるし、その意味でもエレベーターをという。そうした視点から整備されることを望んでいる人が少なからずするのだと思いました。
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泥鰌・ドジョウ [自分史]



ドジョウを見かけなくなりましたね。農薬にホリドール(商品名)が使用されるようになったのは1950年代だと思いますが、禁止になったのはどうしてか、詳しくは調べていません。それ以前の田んぼはドジョウが沢山いて、ドジョウうけという竹籠に捕獲するようになっています。柳川鍋として食用として今も残っていますが、私の住む地方では、熱さましとして額にのせ熱を吸い取るというのか、そういうのがありました。今の言葉でいうエビデンスは不明です。兄たちがとってきたドジョウを額にのせていました。兄たちには感謝しています。 兄たちはクリークでうなぎ捕りにも「うけ」を使用していました。 高熱を出してアスピリンを服用し、一度は呼吸困難になったのを今も鮮明に記憶しています。私の記憶にあるドジョウの姿です。もちろん、恩人のドジョウを食べることはありませんが・・・。
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育ったところ [自分史]



産まれは今の福岡県春日市です。私が生れた頃は春日村です。父が出征して父の実家に戻ったようです。旧八女郡水田村の大字〇〇です。パソコンで「大字名」を検索したら出てきました。感激しそうでしたが、郵便番号入力用に必要なんであるだけで何かが有名なわけでもありません。昔は、イ草でゴザをつくっている家が結構ありました。女性の内職みたいな感じでした。子どもが見た印象ですから当たり外れがあると思います。 今 思い出す光景は、ため池の真ん中で泳いでいる姿です。農村地帯ですので、クリークが縦横にあります。ところどころにため池がありました。イメージとしてわいてくるのは村と村の間にある池です。ところどころ冷たい処がりました。1人で泳いでいる姿です。
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