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久留米との縁 [自分史]




久留米と言えば・・・。育った所が久留米藩と柳川藩との境で、久留米側です。だからといって、深い思い入れがあるわけじゃありません。 「コラム デスク日記久留米入城400年 2021/3/13 野村 大輔 江戸時代の1621年、初代久留米藩主の有馬豊氏(とようじ)が久留米へ入城した。有馬家は以後、250年間にわたり藩を治め、明治期に東京へ移り住んだ。久留米との関わりは昔よりも薄れたが、16代目の現当主頼央(よりなか)さん(62)は「久留米は心の古里」と話す。(以下略)」  久留米大学病院で、てんかんと診断された時に病院から篠山城址を見上げた思い出しかありません。毎月通院する場合にその都度休暇をとることが許される雰囲気が、一般的になかったように思います。保険診療にしていたか記憶が曖昧です。そんな訳で、母が代理で薬を取りに行きました。母は城址をどういう気持ちで眺めたのでしょうか。あるとき、久留米に行くのがつらくなったと母はつぶやきました。 その頃、福岡市辺りのクリニックも土曜診療が普及し始めていました。やがて土曜日半ドンから週休2日制も増えていました。時代が助けてくれました。 ◆気になるニュース?  ニュースでなく新聞の投稿欄からです。教員からです。障害をもつ子どもがいて、エレベーターが必要なのだという。学校はいざというときの避難場所になるし、その意味でもエレベーターをという。そうした視点から整備されることを望んでいる人が少なからずするのだと思いました。
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