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無駄ではありません [社会]



「コラム 春秋 『ムダ毛』じゃありません 2022/4/22 西日本新聞」のなかの冒頭部分を引用します。「ムダ毛」という印象のキャンペーンに成果としてムダ毛の評価は確保したのだと思います。

コラムでは「『ムダ毛』という表現やめます-。かみそり製造大手シック・ジャパンが宣言した。時代と共に変化する「毛」に対する考え方に合わせ、印刷物やネット上のサイトなどの表現を順次変更するという▼ひげはそるもの、女性の体毛は処理して当たり前…。ムダ毛という言葉に象徴される固定観念にとらわれず、自分らしさを表現してほしい。自分が心地よくいられるよう、そる、整える、残すといった多様な選択肢を後押ししたいと説明する(以下略)」

もともと私的領有部分の課題への侵入の話です。世の中には少数派にも意味があると思います。お手伝い家事もそのひとつです。子育て手伝いと顰蹙を買うことがあります。定年後あるいは加齢して家事が男に回ってきたときに苦労しそうです。家事を女性に押しつけた結果です。しかし、リモートで在宅就労を体験したりしたことで意識は変わらなかったようですか。

剃るものだという固定観念を定着させた力も大きい。ひとつひとつの個性に意味があるのではないか。元々お手伝いにもなっていないのにえらそうに言いました・・。

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古い生活習慣は [高齢者]



「コラム 本当に『えらい』のは…2022/4/22西日本新聞 黒田 加那」からです。典型的な意識でしょうが、本音の所ではどうでしょうか。似た話が増えてきています。

「4月に育児休業から復職した。代わりに夫が1カ月間の育休を取得し、慣らし保育を始めたばかりの子どもの世話を担っている。夫には感謝している。でも、周囲からこう言われるたびに複雑な気持ちになる。『旦那さんは偉いね』(以下略)」

最近読んだものとしては、障害者の家族のSNSと投稿です。子どもと言っても成人の介護をしなければならない事情が出てきた。炊事・洗濯などの日常が夫に任された。高齢の夫ながらこんな場合対応できるのでしょうか。私のところは赤信号です。自業自得ですが。

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「未来のサイズ」 [読書]

「子育ては子ども時代をもう一度味わうものと思う朝顔」

 2020年刊行の俵万智さんの歌集「未来のサイズ」からです。こども時代を思う存分に感じとれます

俵万智さんの短歌を読んだ感想を好ましくとっています。
「デスク日記 中学生の読書新聞 2022/4/20 西日本新聞 大田 精一郎」というコラムからです。

 「少し前の話だが、中学生の長女が学校からもらったプリントの中に読書新聞があった。各クラスの文化委員が春休みに読んでほしい本を手書きで紹介。「ハリー・ポッター」から少年犯罪がテーマの『15歳のテロリスト』までなかなかの選書だ。俵万智さんの『初めて短歌の本を買ったけどすごく楽しめた!』と本との出合いの喜びが記されていた。(以下略)」

歌集「サラダ記念日」は1987年刊行だという。今回の歌集は子どもたちの成長を感じさせる作品がいくつもあります。記者からのメッセージを伝えています。親として何か息子たちに残しているのでしょうか。自分のことだけに追われて何も残してやれなかったように思う。記者は雨宮処凛さんの「生きのびるための『失敗』入門」を読んでもらいたいという。14歳の人に向けに書かれた本だという。


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分校で [平和]

分校で

「西日本新聞 コラム 春秋 子どもたちの輝く瞳のために 2022/4/14 」は壷井栄にスポットトライトをあてます。コラムでは次のように紹介されています。

「瀬戸内の穏やかな水面(みなも)に春の陽光がきらきらと輝いていた。香川県・小豆島の海辺に立つ古い校舎を訪ねた。120年前に開校した尋常小学校。1971年まで小学校の分校として使われた▼壺井栄の小説「二十四の瞳」に登場する「岬の分教場」の舞台として知られる。教室は半世紀前のまま保存されていた▼来場者がつづったノートを開いてみた。<戦場に子どもを送り出す(よう)な世の中になりませんように。ウクライナの子どもさん達にも幸せな日々がもどりますように>(以下略)」

私の若かりし頃は、「二十四の瞳」は平和活動のバイブルみたいなものでしたが、壷井繁治は 小柄でした。資料を見ると詩の全集が出されています。また、壷井栄氏は作家として既に広く知られていました。
 今進行しているウクライナへの攻撃、大国の思惑も絡んで予断を許しません。そこに日本障害者協議会の代表者である藤井克徳氏のウクライナの人たちへ生き抜いて欲しいと呼びかける詩が新聞などに紹介され広く感動をよんでいます。詩の力を証明しています。小説「二十四の瞳」が反戦の力を示しているように、国民の中での反戦の動きを勇気づけています。

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77年前も [平和]



  ウクライナでの戦争は刺激的と言うか、足元の生活にある平和の意味を考えさせます。
 次のようなコラムに出会いました。

「デスク日記 反戦訴える沖縄戦体験者 2022/4/9 西日本新聞 野村 創
 太平洋戦争末期に壮絶な地上戦が繰り広げられた沖縄で、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する集会が相次いでいる。目立つのは沖縄戦体験者の姿。90歳を超えても『まるであの時のようだ』と77年前を思い起こし、街頭で反戦を訴える姿に頭が下がった(以下略)」

77年前、1945年前、沖縄戦は否応なしに開始されました。90歳といえば、声を出して反戦の、のろしを上げる事ができたのでしょうか。今も基地問題の渦中のなかにあり、基地騒音が攻めてきます。自らの痛みを抱えてあくなき戦いに身を挺している人たちがいます。

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