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ハチミツの日に [平和]


 
 8月3日はハチミツの日だという。
福岡市の教育委員会の指示は。8月2日の日に事実が明かになったということになのだろうか。何か今の教育を巡る環境を示唆しているのでしょうか。例えば、次の自動車のデータの虚偽報告は長期にわたって、なぜふせられたのでしょうか。「「日野自動車、国に排ガス虚偽報告 リコール新たに2万台超、データ改ざん約20年前から」というのが改ざんデータによるものだという。20年も隠し通せるとはどういう指示の方法をしているのだろうか。安倍氏の弔旗についても、「強制でなく、政治色あるものではない」と受け取る側として、そのように受け取るのでしょうか。

「安倍氏追悼の弔旗、福岡市教委が学校に通知「掲揚に配慮を」2022/8/3  西日本新聞 野間 あり葉、塩入 雄一郎」の記事によれば

「参院選の演説中に銃撃されて死亡した安倍晋三元首相を悼むため、福岡市教育委員会が、安倍氏の葬儀が行われた7月12日から15日まで、全ての市立学校226校に対し、弔旗掲揚に配慮を求める文書を出していたことが分かった。市教委は「強制ではなく、政治色があるものではない。市からの通知を学校にお知らせしたに過ぎない」とするが、学校現場などからは懸念や困惑する声も聞かれる。(以下略)」

広島・長崎の被爆の問題、終戦の日とされる8月15日。集まることで平和の思いを継続していくのではないかと思う。


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1本のマッチにも [平和]



7月2日のNHKTVで故人の方の言動をとりあげている「あの人に会いたい」として犬養道子氏の「1本のマッチになりたい」という言葉を取り上げていました。人権侵害などで活躍した人の言葉です。


平和の声があったのかどうかも分かりませんが、沖縄県民の不遇に少しでも救済があればと言葉を残し死んでいった人・・・。今も牛島司令官の孫は沖縄戦の実態を調べているという。
 次のコラムでは次のように述べています。
「社説・コラム 牛島司令官はそこにいた 吉田賢治2022/6/22 西日本新聞」では、牛島司令官の孫の牛島貞満さんらの活動にも触れています。「県の推計で約12万人。死亡した時期や場所が確認されている約8万2千人のうち、半数以上は5月下旬の首里陥落後の1カ月に集中したとの分析もある」という。

本質的な動きは沖縄戦も、大震災の沖縄県民の犠牲も国の責任を問うているのではないか。


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「世界難民の日」という [平和]



 「世界難民の日」の今日。19日は第3日曜日で「父の日」です。どちらも今年になって確認したマイナーな存在のようにみえます。そのなかでウクライナに偏在しているのだという。反面、難民が世界で初めて1億人を越えたという。世界は平和になれるでしょうか。

「コラム 春秋 世界難民の日、あなたのそばにもきっと 2022/6/20 西日本新聞」からです。ミャンマーからの難民の死亡事件、ウクライナのことなど難民が増える実態をどれだけ報道されたのでしょうか。TBSの「報道特集」などのマスコミも一部しか放送されていません。ウクライナのケースを見ると、つい最近まで普通に暮らしていたはずなのに一瞬にして明日の様子が崩れてしまう現実に驚き、恐怖を感じたのだと思います。そうした背景を国連や関係機関が世界中で示していくことが大切ではないかと考えます。

ここからコラムからの引用です。
「ウクライナからの避難者受け入れが始まり約3カ月半。国内に約1300人、うち140人余が九州に暮らす。避難者の日常や自治体の支援を伝えるニュースに触れると、せめて穏やかな生活をと願うばかりだ▼国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は先月、紛争や迫害で国外に逃げた人や自国内で住む所を追われた人ら、世界の難民が1億人を初めて超えたと発表した▼UNHCRはウクライナ難民への国際社会の支援を称賛しつつ「世界の全ての危機に対して同様の対応が必要」とくぎを刺す。子どもを支援する非政府組織(NGO)も、本来は世界中の子に食料や医療を届けるはずのお金がウクライナ危機に偏る現状を懸念する(以下略)」

 


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核なき時代を [平和]

「『核の終わりの始まり』鍵を握るのは私たち 核禁止条約会議21日から 2022/6/14 西日本新聞」は核兵器を使用しながら 「私たちは今も核兵器による『恐怖の均衡』の中にいる。人類や地球が滅亡するほどの巨大な破壊力がある『武器』で脅し合うことでしか、世界の平和を維持できないのであれば、それはあまりに危うく、いびつだ」という最近の核兵器をチラつかせながら、自らをどう見てもらいたいのか探り合っているようです。昨年、核兵器禁止条約が発効したが、核兵器保有国は参加していないので、重大な変化とまで届いていません。それでも8万発の絶望の武器を用意できています
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分校で [平和]

分校で

「西日本新聞 コラム 春秋 子どもたちの輝く瞳のために 2022/4/14 」は壷井栄にスポットトライトをあてます。コラムでは次のように紹介されています。

「瀬戸内の穏やかな水面(みなも)に春の陽光がきらきらと輝いていた。香川県・小豆島の海辺に立つ古い校舎を訪ねた。120年前に開校した尋常小学校。1971年まで小学校の分校として使われた▼壺井栄の小説「二十四の瞳」に登場する「岬の分教場」の舞台として知られる。教室は半世紀前のまま保存されていた▼来場者がつづったノートを開いてみた。<戦場に子どもを送り出す(よう)な世の中になりませんように。ウクライナの子どもさん達にも幸せな日々がもどりますように>(以下略)」

私の若かりし頃は、「二十四の瞳」は平和活動のバイブルみたいなものでしたが、壷井繁治は 小柄でした。資料を見ると詩の全集が出されています。また、壷井栄氏は作家として既に広く知られていました。
 今進行しているウクライナへの攻撃、大国の思惑も絡んで予断を許しません。そこに日本障害者協議会の代表者である藤井克徳氏のウクライナの人たちへ生き抜いて欲しいと呼びかける詩が新聞などに紹介され広く感動をよんでいます。詩の力を証明しています。小説「二十四の瞳」が反戦の力を示しているように、国民の中での反戦の動きを勇気づけています。

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77年前も [平和]



  ウクライナでの戦争は刺激的と言うか、足元の生活にある平和の意味を考えさせます。
 次のようなコラムに出会いました。

「デスク日記 反戦訴える沖縄戦体験者 2022/4/9 西日本新聞 野村 創
 太平洋戦争末期に壮絶な地上戦が繰り広げられた沖縄で、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する集会が相次いでいる。目立つのは沖縄戦体験者の姿。90歳を超えても『まるであの時のようだ』と77年前を思い起こし、街頭で反戦を訴える姿に頭が下がった(以下略)」

77年前、1945年前、沖縄戦は否応なしに開始されました。90歳といえば、声を出して反戦の、のろしを上げる事ができたのでしょうか。今も基地問題の渦中のなかにあり、基地騒音が攻めてきます。自らの痛みを抱えてあくなき戦いに身を挺している人たちがいます。

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平和であって欲しい [平和]


終戦後の75年前、福岡市に中華料理店「平和楼」がオープンし、間もなく廃業するのだという。「コラム 平和を願った老舗中華を忘れない 2022/3/12 西日本新聞 福間 慎一」というコラムが掲載されました。その一部を引用させてもらいます。

「創業は終戦後、食料難がまだ続いていた75年前。店名には『おいしいものを安く提供し、平和な世の中に』という思いが込められていたという。見渡せばウクライナの戦火は収まる気配がなく、歯がゆさがさらに募る。そして、砲撃こそないが福岡でも多くの人が新型コロナウイルスと長い闘いを続けている」

 ウクライナでの戦争が悲しみをもって届きます。平和楼が75年前開店したという。博多大空襲があり、焼け跡の博多でもあったのでしょうか。コロナの今も見通しが分かりません。平和楼の閉鎖の誘因のひとつにコロナの先行きの不透明さがあるようです。
人類は平和の願いでできているのだと思っていました。そういえば、原発をコントロールできません。平和で、安全な地球を築いていこうと願うばかりです。

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支援の形 [平和]



私は、ネットのなかでの呼びかけがきっかけに知りました。ネットでの署名に賛同するものでした。支援経験のある記者のコラムです。

「コラム 花時計 私たちにできること 2022/3/9福田 直正 西日本新聞」
 昨年2月、自宅近くの駅前で青いベストを着た女性に話しかけられたへの寄付の呼び掛けだ。けちな私も女性の熱心さに打たれ、少額ながら毎月寄付することにした(以下略)」

 今度ばかりは普通に暮らしているのに一瞬にして暮らしが変わってしまうもので理不尽さに怒りが後から後から寄せてくるのです。高齢者は電子決済に慣れていません。そこが広がりを書いているのかもしれません。ウクライナ人の支援の広がりを願う。



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いつかは変化するが続いています。 [平和]



幼い頃、田舎では在宅診療の往診が田舎では普通に行われていた。70年前、私が、家で寝ていると、お医者さんが、青みがかった注射器を取り出し、太い注射針を小学生にならんとする腕に刺した。以後、注射へのそれは続きました。今もって注射の恐怖があります。

故瀬戸内寂聴氏は、次のように述べています。

「この世に変わらないものなどない。
 苦しみや悲しみもいつかは変化する」(『今を生きるあなたへ』)

ウクライナへのロシアの侵攻があるなど想像もできないことでした。新聞の論説の担当者がメディアの判断の甘さを当然のこととして述べています。どのように変わるのか見納めしたいと思う。


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忘れてしまうのに [平和]


「コラム 『節目』報じる気まずさ 永田 健 2022/1/28  西日本新聞」は、次の一文
で始まっています。

「今年は沖縄が日本に復帰して50年の「節目」である。それに合わせて、東京を拠点とする新聞やテレビ、そして福岡に本社を置く西日本新聞も年頭から「復帰50年」をテーマに、沖縄の戦中と戦後、そして現在をテーマに据えた報道を始めている。このコラムもその一つである。(以下略)」

ネット書店で購入した『翡翠色の海へうたう』という本を冒頭から10ページくらい読んでいたことに気づいた。買ったことを忘れるのでいつも座っている形ばかりの書斎の段ボールに仕舞っています。本の帯には、「声なき哀れな女性たち」を書くべきだとして沖縄に飛んだ。取材先で対応してくれた女性に「当事者ではないのに、なぜ書くのか」と問われます。永田氏は本土復帰して50年という建前で書くだけで良いのかという問いがあるようです。
私は『翡翠色の海へうたう』を読んでも何もしないだろう。読んだことさえ忘れるだろう。それでも、沖縄に願いを込めて・・・。40年ほど前、嘉手納基地の騒音と体験した音を騒音訴訟の報道があるたびに思いだすことはできます。いかほどのことでもないのだが。

 

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