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追慕か? [平和]

追慕か?

中村哲氏の命日だという。

「コラム 春秋 中村哲さん
 今、どちらにいらっしゃいますか2021/12/4西日本新聞」には、追慕の言葉ではないかと思う。

「今、どちらにいらっしゃいますか-。福岡市で開催中の写真展の感想ノートにこうあった。会場に並ぶのは、アフガニスタンで人道支援に尽くした中村哲医師の活動を切り取った写真。喪失感が消えない人は多いのだろう▼中村さんがかの地で凶弾に倒れて今日で2年。(以下略)」

10年ほど前、JR博多駅でみかけました。小柄の姿を見つめていた私も、「今、どちらにいらっしゃいますか-」と尋ねたい。たが、それは危険な場所に委ねることにはならないか。
貴重な存在であるがゆえに。今日は「今、どちらにいらっしゃいますか-」と尋ねる時間としたいと思います。

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投票行動と望む結果 [平和]



投票行動と有権者の気持ちが異なる結果を選ぶことがあるという。低投票率と意志とは異なる棄権などが影響するのだという。薬と公約は例えの通りかもしれないが・・・。 この視点から今回の選挙を総括することもあっていいのかもしれない。 憲法を守る勢力がいうことは「戦争は嫌だ」という気持ちがあっても、正義の味方としての戦争をと言われたら容認するのかもしれない。言葉の選択に巧みな政治家がいたら、「正義の戦争」となる可能性が高いのではないか。気づいたときは「戦の中に」巻き込まれているということだってありうるのでは。

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伝える難しさ [平和]



「記者コラム 亡き叔母の戦争体験 2021/9/11 高田 佳典 西日本新聞  「機銃掃射にあったらまっすぐ走っちゃだめ。真横に逃げれば弾は当たらない」。2019年に亡くなった伯母は元気だったころ、夏になるとそんな話をしていた。西鉄筑紫駅近くで列車の下に隠れて無事だったとも▼今思えば、伯母が体験したのは「西鉄筑紫駅列車銃撃事件」だったようだ。終戦直前の1945年8月8日、米軍機の機銃掃射で多くの市民が犠牲になった。犠牲者名簿はなく詳細は明らかになっていない(以下略)」  「西鉄筑紫駅列車銃撃事件」の駅の銃撃跡です。二度見学しました。最初は旧公民館横に駅の再現と銃弾の貫通した箇所が記されていました。今からすると今のバス停にトタン屋根の簡素なものでした。二度目は、公民館とは少し離れた展示施設でした。コンクリートの施設の中に置かれていました。施錠されていました。筑紫駅からなんとか徒歩でいけたと記憶しています。現在はどうなっているのでしょうか。地域のみなさんの支えによって残されてきたものでしょう。記者は伯母さんの体験を聞く機会を逸しています。今、似たように伝承する機会を逃しているケースは少なくないと思われます
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被爆地から離れて [平和]


「終戦後、登下校時に練習したお悔やみの言葉 2021/8/29西日本新聞 木下 悟 」では、 「戦後76年 おびただしい犠牲者を出した『あの戦争』。日本が降伏し、終結してから76回目の夏を迎えました。戦争とその記憶、継承の営みを伝える記事をまとめます」とあります。 敗戦の前、1944年生まれの私は9月で77歳になります。もちろん、戦争体験もありません。伝えようにも体験がないのですから仕方がありません。ただ、戦後の街角に白衣を着た傷痍軍人を見かけたこと、配給制度があり、戦後も随分経っても続いていたことぐらいです。1981年に廃止されたという。就職する際に「米穀通帳」の取り扱いの相談をしたことが記憶にあるだけです。
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タコの子 [平和]



「コラム 永田健の時代ななめ読み 昨日生まれたタコの子が 2021/8/15 西日本新聞」からです。コラムを読んだだけで「もうかった」と思いました。

 「先の戦争中、銃後の庶民の間でこんな替え歌が歌われたのをご存じだろうか。

 昨日生まれたタコの子が
 タマにあたって名誉の戦死
 タコの遺骨はいつ帰る
 骨がないから帰れない
 タコの母ちゃん悲しかろ   (以下略)」

 戦後76年。戦争がなかっただけでもうけもの。内戦も多い。敗戦の1年前に産まれなので戦争体験者なのですが、記憶にある時代には体験はなかった。言いたいのは平和であることは難しいことが多いということです。来月で77歳となります。気になることがあります。ある有名人が「ホームレスの命はどうでもいい」と発言したという。命を軽んじる風潮が怖いのです。

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「黒い雨」被爆者認定 [平和]


先ほどの高裁判決に単純に喜んでいました。国家機構としては他の裁判などへの影響があります。高裁も、原告側もそれを意識していたのでしょうか。15日の戦没者追悼式典でも、安倍前総理と同じく加害責任については触れなかったそうです。 「コラム 戦争遂行した責任果たせ 「黒い雨」被爆者認定 2021/8/15 京都大准教授 直野章子氏 共同通信 西日本新聞」では次のように述べています。 「しかし、高裁判決のうち、内部被ばくの健康影響を広く認めるべきだとした点は、政府として容認できないとくぎを刺している。長崎も含めて、被爆者援護の対象が広がることを懸念しているからだろう。さらに内部被ばくによる被害を認めると、東京電力福島第1原発事故の被害認定に波及することを恐れているということもあるだろう(一部引用)」 直野氏は、被爆者の高齢化による人道的配慮で上告しないという政府が、原爆被害は戦争がもたらしたものであることを明確にすべきだと迫ります。しかし、原告の高齢化はこれ以上長期化を阻むものでした。ですが、なんのための被爆者にさせられたのかということの結論を示してもらいたいというのも分かります。 国家間の賠償では韓国との問題が浮上しますが、他の国との賠償責任の決着について一度整理しておきたいと思う。今回の国の責任とは異質なものかもしれませんが。

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全ての国民が戦後生まれ [平和]



「記者コラム  鈍くならないための8月  2021/8/11 坂本 公司西日本新聞 戦後50年の1995年は飯塚市の小学校に通っていた。8月には夏休み中の登校日があり、原爆、戦争に関する学習をした。幼少期に長崎で被爆を経験した教員もいて、その先生の講話を全校で聞くこともあった。内容はおぼろげだが、授業で見聞きするだけだった原爆投下が急に事実として眼前にあると感じた(以下略)」  核兵器禁止条約が発効しました。戦争体験者が条約の批准に果たした役割が大きかったと思います。敗戦の1年前に産まれた私にとっても被爆者の発言に気持ちを新たにしました。なのに9日に急な用事が入り、9日の黙とうをみなさんと一緒にできませんでした。  平和への思いが鈍磨しているようです。人間は、覚えたくても忘れる機能もあります。齢を重ねてさらに忘れ去ることが増えていきます。ある作家は、忘れそうになった言葉を拾い直すという言葉で、言葉を拾い直すとしています。忘れることは悪ではないと思うが、寂しい現実でもあります。





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「平和記念式典」を見て [平和]



原爆投下から76年経過した広島市での平和記念式典にテレビ参加をしました。移動が不自由になってから、テレビやオンライン会議の参加ができるのでありがたいです。 広島では、総理の挨拶でNHKは文字情報として挨拶のままに画面下部に同時に流しました。ところが突然停止しました。NHKに渡された挨拶と総理の言葉がかみ合わなくなりました。しばらくして一致するところが確認できたのでしょうか、また、声情報と文字情報が一致しました。NHKの担当者は冷や冷やしたのではないか。読み飛ばしは最近、もうひとつあったという。会議の仕組みが形骸化しているのではないかとも思った

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黒い雨は [平和]



「コラム 春秋(オピニオン) 毒杯を捨て、被害者の救済を2021/7/16 西日本新聞」では、先の戦争の原爆被害の範囲をどうするかという判決です。今朝のSNSでも広島市長の英断を求めていた人がいました。同感です。西日本新聞のコラムでも市長に問うています。 「▼その控訴審があり、広島高裁は一審判決を支持。控訴を棄却し、手帳の交付を命じた。今も原爆の毒に苦しむ人たちを救いたい、との思いが本物ならば、県知事や市長は国の方針を敬うだけでなく、自らの信念を貫くために必死で働き掛けてほしい(一部引用)」 住民の代表である知事・市長には国の言い分だけに従うものではないと思う。それは自治体首長としての責務ではないか。
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その日が [平和]



「記者コラム 『その日』が来る前2021/6/25 西日本新聞中西 是登」から福岡大空襲の 体験者がいなくなる日が近いことを紹介しています。 「先日訪れた小料理店で御年90歳の女性店主が福岡大空襲の話をしてくれた。女学校に通っていた76年前の6月19日、福岡の街や人は焼夷(しょうい)弾に焼かれた。焼け落ちた電線がバチバチと火花を散らす道を逃げ回り、夜が明けると遺体を広場に並べさせられたという▼同年代の私の祖母もやはり大空襲を経験している(以下略)」 「その日」は体験者がいなくなることですが、自由な社会の空気も大事なように思う。 そして6月25日のコラムはリベラルな香港の新聞が最終号を出したという。自由の象徴がまたひとつ消えました。SDGsがテレビでも番組が増えていることは光明ですが、大国に自由な雰囲気が失われています。地球上の生物は寿命としては他の生物から食べられて死ぬことが多いという。人間は食べられて死ぬことはあるのでしょうか。「人は微力だが無力ではない」を実現できるか。
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