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伊都国について [歴史]



西日本新聞の福岡版に伊都国の発掘の歴史をたどる一文がありました。自分の祖先がどういう思いで生き抜いてきたのか知りたいと思う人も少なくないと思います。人間の寿命が1世紀を超えて120歳まで多くの人が生き抜いていけるのではないかという。そうなったときに考古学はどのように発展していくのでしょうか。

 福岡市・糸島市・吉野ヶ里・福岡市などに絡んだ「邪馬台国」論争にからんで多くのことが明らかになっていません。新聞記事は次のように始まっています。

「紀元前1世紀、突然現れた古代国家 【王墓発見200年―伊都国①】2022/1/19 西日本新聞」によりますと

「3世紀末に書かれた中国の歴史書『魏志倭人伝』に登場する古代国家『伊都国』。所在地論争が続く「邪馬台国」や金印を授けられた「奴国」に次いでよく知られた存在だ。その伊都国王墓の一つ「三雲南小路遺跡」(糸島市三雲)の発見から今年で200年を迎える。地元糸島市の文化財担当職員として33年間、発掘調査や博物館の展示企画などに携わってきた(以下略)」

伊都国の勢力エリアは糸島市から福岡市西区今宿をカバーしているという。この地区は甕棺などが広範囲に発掘されたようです。福岡市では旧平和台球場に中国からの使者などか滞在した館跡の発掘が進んでいます。

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平野(ひらの)遺跡の話 [歴史]



私が住む市では市の出先機能も兼ねたコミュニティセンターが3か所あります。そのひとつの情報紙「南風」というのに平野(ひらの)遺跡の教育委員会の発掘調査の報告が掲載されていました。 「場所は牛頸公民館の隣で、鎌倉~室町時代(13~15世紀)の村の一部が見つかりました」とあります。平野神社が目印になります。10年前ぐらいまでは米作りされていたと思いますが、印象的なのはあぜ道を彼岸花が真っ赤に染めていました。最近行かないようになりましたのでどうでしょうか。 牛頸須恵器窯跡として国指定の遺跡址もあります。
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「性差の歴史」 [歴史]



 8月25日の文化面で歴史学者の義江明子さんとエッセイストの能町みね子さんの対談としては「性差の歴史」を語り合った記録で掲載されていました。義江明子さんは、丁度話題になった『女帝の古代王権史』を読んでいる途中です。対談相手が性転換もしている能町みね子さんです。NHKの夕方の番組で大相撲の解説をされ、楽しみにしています。義江さんは「日本では、そもそも王は男女の区別無く統率力がある熟年男女の中から選ばれた」との「事実」として証明させたと言われているようです。  そのひとり、斉明天皇が女帝として即位したのが62歳だとういう。百済救援支援軍を率いて福岡県の朝倉地方に筑紫朝倉宮に7年余逝去するまでいたという。歴史本の人名の数の多いことについて行けませんが、斉明天皇は朝倉という近くの場にいたとのことで、親しみを感じています。
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1000年に一度? [歴史]



テレビで中国を襲った豪雨が1000年に1度の豪雨だとしていましたが、1000年後の関係者が検証してくれるでしょうか。 本を読んでいましたら「老いて何も分からぬようになってしまう認知症に」という表現がありました。「恍惚の人」有吉佐和子などの影響が残っているのだろうか。一度定着したものは永年の蓄積なのか、何も分からなくなる認知症になれば悲惨だという意味のことが書かれていました。確かにそうした傾向が見られるものもあると思いますが、社会参加している人たちもいます。「恍惚の人」も社会への警鐘だったのでしょうが、インパクトが強かっただけに誤解があるのだと思います。てんかんなどもかつて遺伝すると言われましたが脳の手術で治るものが増えてきました。
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桜の不思議 [歴史]



 夏至になりました。特別の感慨は私にはありません。ところが、少し違って、桜では日頃見かけないお年寄りも陽気に誘われて歩かれたりしています。夏至は年寄りには酷なものですが。私なども同年代の知人も含めて無事に桜の季節を迎えられたという感慨があります。 「公式な記録としては、古くは平安時代、812年に嵯峨天皇の花見の記述があります。古事記にも桜の記述があることからもっと以前からずっと愛されてきたのでしょう。(中略) 注目すべき点は、お花見の習慣は儀式的なものでなく、小さな子供が桜の木の下ではしゃぐ姿、あるいは大人も毎年浮かれてしまう姿を見ても、かなり本能的なものだということです」 (『生物はなぜ死ぬのか』小林武彦) 真偽は明らかになるのでしょうか。桜の季節になると、今年も桜を見ることができたとして感慨深くなることの不思議です。どなたか研究されていないのでしょうか。
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世界遺産登録後に [歴史]


「コラム 文化 世界遺産登録後に課題多し 2021/6/20 西日本新聞 東京都立大人文社会学部教授 山田康弘氏」を興味深く読みました。  縄文時代の始まりは、氷河期が終わり温暖化して定住化することになったそうです。素人にも分かるように書かれています。 「定住することによって、様々な加工技術や精神文化そして社会的ルールが発達し、社会は単純なものから複雑なものへと変化していった。現代社会は、この複雑化の延長上にあると言っても過言ではない。『北海道・北東北の縄文遺跡群』は、定住の開始から縄文文化の爛熟(らんじゅく)までのプロセスをたどることのできる遺跡で構成されている。その意味では、まさに縄文時代・文化の代表例ということができるだろう(一部引用)」  世界遺産となった後にどのように史跡の整備が求められるということです。単なる歴史好きに話題を提供してもらいたい。 ◆気になるニュース 6月20日は「世界難民の日」だそうです。日本は人口減に向かっています。学者によっては難民を受け入れたらと主張する方もおられます。それにしても難民受け入れ体制はどうなっているのでしょうか。縄文時代はどのように人口を増やしたのでしょうか。温暖化だけではないでしょう。そんな話もあれば聞いてみたい。読んでみたいか

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植物はなぜ動かないのか [歴史]



「植物はなぜ動かないのか」という本を読んだことがあります。子孫を残すために様々な工夫をしているのだと教えられました。次のコラムみたいに自身の寿命を延ばしていく話が神秘的です。それは生命力だという。それで厄介だと思ったのは、新聞によれば厚労省によると、今年の2月から6月4日の間でワクチン接種後亡くなった人が196件あるという。ワクチンとの因果関係が不明という。生命力があるのに奪われていないか。厄介な話であります。動かぬ樹木の生命力。動ける人間がある意味非情な寿命を閉じてしまいます。 「コラム テスク日記 樹木の生命に敬愛 西日本新聞2021/6/13 河野 潤一郎 」では、  「梅雨の晴れ間、佐賀県太良町の山林は緑がまぶしい。『細根や葉脈といった樹木の器官は驚くような機能を持っている』。同町森林組合の村井樹昭(しげあき)組合長(76)は植林したスギやヒノキに深い愛情を注ぐ。林業に携わって半世紀、名前『樹』と付くことからも、天職と言えそうだ。  組合の製材加工施設の敷地に『樹魂碑』が設置され、1日に除幕式があった。樹木は会話も移動もできないが、何百、何千年も生き続ける生命力を持つ。村井さんによると、伐採した木の霊を祭り、その恵みで生活できることへの感謝と林業労働者の安全を願い碑を建てたという(以下略)」  林業労働者の安全を祈る人たちを見守ってくれている樹木に感謝したいですね。

 











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縄文時代は [歴史]



「コラム 春秋 ミニチュアは縄文から?2021/6/9 西日本新聞」は縄文時代という時期を 豊かな知識をもつ人たちの歴史であることが伝えられています。ミニチュア土器がたくさん出てきて、どんなに使われていたか興味深いものだという。 「▼5千年前の日本にもミニチュアがあった。ユネスコの世界文化遺産へ登録される見通しの「北海道・北東北の縄文遺跡群」。三内丸山遺跡(青森市)では10センチにも満たないミニチュア土器が2500点以上も出土した▼土偶や装身具と一緒のケースが多く、祭祀(さいし)用の可能性があるそうだ。幼子がままごとに使った日もあったかも。縄文文化に詳しい九州大大学院の古谷嘉章教授は近著「人類学的観察のすすめ」でミニチュア土器に触れ、<手にした人々を日常から引き離し、別のスケールの世界へと誘ったのであろう>と書いている(一部引用)」 歴史にもいろいろな解釈がなされています。江戸時代の「士農工商」は身分制で難渋した庶民という図式を教わったのですが、最近ではゆるやかな制度のように言われているようです。縄文時代の遺跡の発見が遅れたこともあり、あまり豊かな暮らしなどが分からないできました。これからの研究に期待したい。ユネスコの世界文化遺産に登録されたら研究にも弾みがつくのではないかと思う。
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長崎奉行 [歴史]



「コラム 春秋 長崎港が見つめた450年 2021/5/10 西日本新聞」は出島の話題から入り、長崎奉行の話につながります。 「▼禁教下に築かれた「出島」は世界に向けて針で開けた穴のようだった。悩みの種は何度も起きた不審火。消火活動で町の者が入り込むたび、舶来品が盗まれたとか。遠山の金さんの父親も、港を管理する奉行として江戸から赴任した▼高杉晋作や坂本龍馬が行き交った幕末。英国商人グラバーは薩長の志士を支援したが、同時に幕府側にも武器を売った。妻は日本人のツル。夫婦が見下ろした港をヒントに、オペラ「蝶々夫人」は生まれたと伝わる(一部引用)」 遠山の金さんの件になったところで、読み返す予定の本箱に『長崎奉行』(鈴木康子著)があるのを思いだしました。それによると秀吉直轄領時代には、奉行の下に10人の与力を配備したという。この本では6人の奉行を紹介しています。奉行と言っても江戸で任務を果たしている他の奉行とは異なるという。地域担当の専門職とでも言うべきか。江戸時代の位置付けは老中支配下の遠国奉行のひとつとなったという。 本の帯には「能吏か、人格者か、はたまた悪の黒幕か」とあります。


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「生き合わせ」 [歴史]

西日本新聞には村田喜代子氏の『この世ランドの眺め』という連載の随筆があります。4月分は27日の「予防接種がやってきた」とあるように通知が届いたがうまくつながらないなどの話が紹介されています。 「疫病は数年間続くことも珍しくない。いやな時代状況のときに生き合わせた気もするが、しかし私の祖父母の時代には戦争があった。アジア太平洋戦争の日本人死者総数は、軍と民間合わせて310万余に及んだ(一部引用)」とあります。 新型ウィルスと戦は死者が出る点が共通しています。私の父は公務員でしたが昭和天皇には好意をもっていたとは思えませんでした。子どもと会話をすることも少ない人でしたので詳しいことは分からない。それとも生き合わせでしかなかったのか

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