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喜寿を前に [平和]



 敗戦を1歳で迎えた子どもたちが来年喜寿を迎えます。鬼籍に入る同級生がボチボチという状況です。新聞投稿に「お下がりから兄弟愛が生れた」というのを読み、クラスの集合写真に一人だけ学生服が白っぽく見えたのがわたしだけであったことを思い出した。長男・次男そして三男の私と受け継がれました。その頃、それでも貧乏という感覚は薄いものでした。話は、沖縄戦最終地で戦い、敗れた日の話に変わります。 「戦後76年悲しき日本色 吉田賢治 2021/1/13 西日本新聞」というコラムを読みました。 そして生き延びたことを確認したなかで、沖縄の犠牲、広島、長崎の被爆などの犠牲によって生き残ったということを日頃忘れているようです。 「沖縄戦の激戦地となった沖縄本島南部に残る避難壕(ごう)に、調査団と一緒に入ったことがある。懐中電灯だけが頼りの狭い空間で腰をかがめて土を掘ると、小指半分ほどの大きさの茶色い破片が出てきた。遺骨と教えられた。数十年もの間に変色していた。  命令を受けて勇敢に戦った日本兵かもしれない。幼子を抱えて逃げ惑った住民かもしれない。「鬼畜」とたたき込まれた米兵が迫る中、十分な食べ物もなく恐怖に震えながら落とした命。そして漆黒の闇に埋もれたまま、数十年余もの間の放置。想像を巡らせ、心がかきむしられた。(以下略)」 コラムでは、辺野古の埋め立て用の土砂の採掘場所に沖縄南部を追加するのだという。なんと理不尽なことか。沖縄に過重な責任を負わせるのはどうか。


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