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特別史跡 水城の謎は [歴史]



白村江の戦いに敗れた日本軍は当時の政治経済の中心としての大宰府防衛のために土塁を短期間でつくったのが水城(みずき)。博多方面に水をたたえていたとされます。平地での防衛施設です。山の方では大野城という山城をつくりました。国の史跡認定から100年を迎えるそうです。今でも、教育委員会による発掘が続いていますが、大規模で急ぐ仕事をどのようにしていたのかという点が分からないという。もうひとつ不明な点として川を上ってきたら大宰府に侵入されやすいが、その点がどう考えていたのかという謎があるという。 「大宰府ヒストリー 水城跡 二つの謎 2021年1月8日西日本新聞 「今年3月、大宰府跡と水城跡は国史跡指定から100年を迎える。水城の土塁は長さ約1・2キロ、高さ約10メートル、幅約80メートル。 何しろ重機もない大昔の大事業。人海戦術が展開されたはずだが、『宿舎や食事の提供 場所は長年の調査でも未解明』(西谷正・九州大名誉教授)という。 謎は他にもある。水城は宝満山から博多湾に注ぎ込む御笠川で途切れている。敵軍が川を渡って攻めてきた場合、大宰府の街区に容易に侵入されてしまう『最大の弱点』だ。この周辺の警備状況も不明のままだ」  教育委員会の担当者はこれを解明するのをしないのだという。史跡の原型を壊してしまうおそれがある発掘はしないということだろう。一つの選択だと思う。
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