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高島野十郎という人 [社会]



「賢いトイレ」の開発が進んでいるという報道があります。トイレぐらい自由な場でありたいというのは我がままでしょうか。食べる物が偏っているとかAIが知らせるというものだという。トイレは自由空間でありたい。   「『視界不明瞭な』今こそ 藤田 中」(2021年1月17日西日本新聞)という記事に共鳴しました。画家、高島野十郎の生誕130年展に関連しての記事です。 「久留米市美術館で久留米出身の画家、高島野十郎の生誕130年展も開催される。その中でも、高島野十郎は私にとって忘れ得ぬ画家である。文化部記者をしていた2011年、彼の足跡を首都圏、地元に追い「凝視の先に」という連載を書いた経緯もある。私は彼の作品を初めて見たとき、大きな衝撃を受けた。まず暗闇に燃える1本の蝋燭の絵を見て立ち止まった。果物の桃を描いた静物画では、ビロードのような感触そのままに再現されている桃の実の産毛にうなった。(中略) 生涯独身で美術団体にも属さず、千葉の畑に建てた粗末な小屋で絵を描き、一人無名のまま亡くなったこと」 高島野十郎のことを最初に聞いたのは、千葉の粗末な小屋の模様でした。久留米出身の画家としてテレビで紹介されたのを見ただけでした。その後しばらくして、福岡県県立美術館で2度ほど展覧会のローソクの絵に引き込まれました。政治とカネに見られるように、金銭の授受さえも、納得出来ない領収書のことなど、腐臭がただよう世界とは違う世界を生きた人としても尊敬に値します。今でいうなら中村哲氏のような人のように感じます。藤田氏は「視界不明瞭な時代かにらこそ」生き方を含めて知って欲しいのだと思いました

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