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「一隅を照らす」 [寛容な社会]


新聞によれば「カップヌードル」と「マクドナルド」が登場して半世紀になるという。「マクドナルド」はアイスコーヒーなどで数回利用したことがありますがカップヌードルは今もって重宝しています。これほど手軽でおいしいものはない。あと半世紀も生き残るのではないか。 元日の社説は新聞社の社会の見方を示すものとして注目されています。 「社説 コロナ禍を越えて 一隅にも光が届く社会に2021/1/1西日本新聞」を読みました。 「一隅を照らす」は中村哲氏の座右の銘だという。ウィルスは個人の生活をも破壊します。 感染症がもたらすダメージの厳しさをさらしています。 「2波、3波と感染拡大は襲いかかる。ワクチンが普及するまで、と耐えても、「禍」は社会をむしばんでいく。仕事を失ったり、収入が大幅に減ったりした人の支援はまったく足りていない。非正規労働者やシングルマザー、年金頼みの高齢者など、弱い立場の人ほど、より苦しい境遇に追い詰められる。格差は広がるばかりだ(一部引用)同上社説」  報道によれば、緊急事態宣言のあとに介護度が重たくなる人が急増しているという。感染リスクのみを強調する行政とマスコミに対して警告を発しているという。弱いところに力が及ぶことの危険性を示すべきだという。 同様に、ホームレスになる人も後を絶たない。社説は柳美里さんの「JR上野駅公園口」を引用しています。さらに、「政治とカネ」という腐敗政治家の姿を批判しつつ次のようにも述べています。 「■ゆがみを正す機会に  菅義偉首相は「自助・共助・公助」を政治の基本として掲げた。まず自助や共助があって、公助の出番は最後という考え方は納得できない。個人の努力や周囲の助けには限界がある。コロナ禍ではなおさらだ。苦境に陥り、社会の一隅にうずくまる人に、上からではなく、同じ目の高さからあまねく手を差し伸べるのが公助である(一部引用)」 これに追加するならば、カネにまみれた政治家が吹聴してきた公務員批判を自らに向けたが良い。生活の厳しさを政治家への批判に変わらないように公務員批判を続けてきた政府。それを信じてきた国民にもわずかの責任はあるかもしれません。医療崩壊・霞が関から逃走していく公務員たち。医療や福祉の現場の使命感だけに支えられた働きぶり。

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