SSブログ

街角ピアノ [寛容な社会]


街角ピアノのテレビで、最近見たのはNHKのヨーロッパの空港からでした。いや、神戸駅だったでしょうか。どちらだったでしょうか。ピアノが弾けるということは憧れです。 「コラム 春秋 街角ピアノは鹿児島から2021/1/12西日本新聞  あんなふうに弾けたら楽しいだろうな、と見るたびに思う。NHKでたまに放映される『空港ピアノ』『駅ピアノ』シリーズだ。恋人同士、赤ちゃんを抱っこしたママ、兵役を控えた若者…。音楽家もいれば、独学とは思えぬ達人も。無名の人たちの小さな物語がじんわりと胸に響く ▼駅や街角を行き交う誰もが自由に弾けるストリートピアノ。国内の先駆けは鹿児島中央駅そばの一番街商店街。九州新幹線の全線開通を控えた2011年2月に登場した(以下略)」  息子2人にピアノ教室に行かせたのが親の我がままでした。そのことに気づかせられるのにはそんなに時間はかかりませんでした。ですが、今もって親としての憧れは残っています。 音楽大学の受験を前に、最後の練習として弾く人もいました。故郷から戻ってきた人もいますし、多彩な人たちで音楽が奏でられます。あんなふうに弾けたらいいなという羨望がそこにあります。 誰でもが引けないくらいがちょうど良いレべルなのでしょうか。
nice!(0)  コメント(0) 

民間資料で歴史をつかむ [歴史]



「大宰府ヒストリー 記者ノート 2021年1月9日西日本新聞」では、地元の歴史を日記から知ることができたという。 大野城市下大利のKさんの祖父が残した日記は暮らしを記録する大切さを教えてくれたという。例えば、汽車が寒村に鉄路を走ったときの模様です。記事では次のように説明されています。 「寒村だった地域に鉄路が敷かれ、1889年に汽車が走った。『授業中であったにもかかわらず、先生も生徒も教室を飛び出して見たものだ』との記述は人々の高揚ぶりが如実に伝わってきた。コロナ禍での暮らしや社会の変容も、歴史の一端。疫病の流行や乱世も乗り越え、成長してきた大宰府の地で、災いを受け入れながら、みんなで地域の歴史を刻んでいきた い」 JRの線路の他に西鉄電車も近くを走ることになります。水城跡のなかに思水園といった料亭らしきものがあったというが、はっきりした資料がないと数年前の新聞が伝えていました。そうしたものも個人の日記や社史などの記録の中に眠っているかもしれない。
nice!(0)  コメント(0) 

斬られ方は [社会]

斬られ方は


「コラム 春秋 絵にならない斬られ方2021/1/9西日本新聞」からです。

「▼「5万回斬られた男」の異名を持つ俳優福本清三さんが亡くなった。77歳だった。15歳で東映京都撮影所に入所。通行人や死体の役ばかりという下積みの苦労の中で芸を磨いた。特に「絵になる斬られ方」を徹底的に研究したそうだ
▼斬られた時に体を大きくのけ反らせる独特の「えび反り」で知られる。頭を打つくらい思い切り倒れ、けがを恐れずに石灯籠にも突っ込んだ。市川右太衛門さん演じる「旗本退屈男」に斬られて以来、約半世紀、歴代の時代劇スターに斬られ続けた(一部引用)」

コラムは、トランプ大統領の今の姿に続くのですが、こちらは風格のある、斬られ役の福本清三さんの話につなげようと思いますが、知らないという方も写真を見ればあの方かとうなづく人も多いと思います。77歳と言えば私より1年前の生まれです。斬られるシーンの時には そうとうな年上に見ていて、勝手に想像していました。「旗本退屈男」なんて知らないという人が多いのでしょうか。脇役で場面が締まることもあるようです。時代劇が少なくなったと言われる時代になりました。ひとつの時代の終わりを聞いたような気がしました。50年の活躍ご苦労様でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

「コラム 春秋 絵にならない斬られ方2021/1/9西日本新聞」からです。 「▼「5万回斬られた男」の異名を持つ俳優福本清三さんが亡くなった。77歳だった。15歳で東映京都撮影所に入所。通行人や死体の役ばかりという下積みの苦労の中で芸を磨いた。特に「絵になる斬られ方」を徹底的に研究したそうだ ▼斬られた時に体を大きくのけ反らせる独特の「えび反り」で知られる。頭を打つくらい思い切り倒れ、けがを恐れずに石灯籠にも突っ込んだ。市川右太衛門さん演じる「旗本退屈男」に斬られて以来、約半世紀、歴代の時代劇スターに斬られ続けた(一部引用)」 コラムは、トランプ大統領の今の姿に続くのですが、こちらは風格のある、斬られ役の福本清三さんの話につなげようと思いますが、知らないという方も写真を見ればあの方かとうなづく人も多いと思います。77歳と言えば私より1年前の生まれです。斬られるシーンの時には そうとうな年上に見ていて、勝手に想像していました。「旗本退屈男」なんて知らないという人が多いのでしょうか。脇役で場面が締まることもあるようです。時代劇が少なくなったと言われる時代になりました。ひとつの時代の終わりを聞いたような気がしました。50年の活躍ご苦労様でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 

思い出 [街]



 大相撲正月場所が始まりました。コロナ禍で休場した人が多く、書いている初日は寂しい空気がします。それは見る側の勝手であり、本人たちは違うのかもしれません。いつか懐かしい思い出として語り継がれていくでしょう。 「コラム デスク日記 死ぬまでに残したい思い出2020/12/26西日本新聞 」のなかに旅の記憶を綴った新刊が紹介されています。 「翻訳家岸本佐知子さんが新刊「死ぬまでに行きたい海」で22の旅の記憶をつづっている。父の生家を訪れると、見たことのない少年時代の父が頭の中で再生される。いがぐり頭で、おやつはキュウリ。でも、本人に確かめることはかなわなかった。人々のささいな記憶が「その人の退場とともに」失われてしまうのが「苦しくて仕方がない」という一文に息が詰まった。(一部引用)」  私には、死ぬまでに行きたい旅というのはありませんし、行ける体でもないように思う。仕事での出張は九州管内が多かった。所属する団体の全国大会などであっちこっち行きましたが見物するようなものではありませんでした。GOTOトラベル使っての旅をしたいというが、今の雰囲気ではどうだろうか。自由に動けた時が早く再開できますように。
nice!(0)  コメント(0) 

特別史跡 水城の謎は [歴史]



白村江の戦いに敗れた日本軍は当時の政治経済の中心としての大宰府防衛のために土塁を短期間でつくったのが水城(みずき)。博多方面に水をたたえていたとされます。平地での防衛施設です。山の方では大野城という山城をつくりました。国の史跡認定から100年を迎えるそうです。今でも、教育委員会による発掘が続いていますが、大規模で急ぐ仕事をどのようにしていたのかという点が分からないという。もうひとつ不明な点として川を上ってきたら大宰府に侵入されやすいが、その点がどう考えていたのかという謎があるという。 「大宰府ヒストリー 水城跡 二つの謎 2021年1月8日西日本新聞 「今年3月、大宰府跡と水城跡は国史跡指定から100年を迎える。水城の土塁は長さ約1・2キロ、高さ約10メートル、幅約80メートル。 何しろ重機もない大昔の大事業。人海戦術が展開されたはずだが、『宿舎や食事の提供 場所は長年の調査でも未解明』(西谷正・九州大名誉教授)という。 謎は他にもある。水城は宝満山から博多湾に注ぎ込む御笠川で途切れている。敵軍が川を渡って攻めてきた場合、大宰府の街区に容易に侵入されてしまう『最大の弱点』だ。この周辺の警備状況も不明のままだ」  教育委員会の担当者はこれを解明するのをしないのだという。史跡の原型を壊してしまうおそれがある発掘はしないということだろう。一つの選択だと思う。
nice!(0)  コメント(0) 

無観客に慣れていたラジオ世代 [街]



「【神田伯山×いとうせいこう対談】リモートは社会を変えるか 2021/1/7西日本新聞 」 からです。 「伯山 無観客でコロナ期間中に配信したりしてたんですけど、まあーやりづらい。お客さんがいないから間もずれるし。ところが、うちの師匠とかの世代は全く変わりなくやってました。昔自分たちが修業した時代、お客いなかったから慣れてる、って言って。  いとう あとはラジオやってたからだよね。芸はだいたいラジオでしか運ばれなかったから、要するにマイク一本の前でやれるということは想像ができるってことでしょ、客が (一部引用)」  落語など演芸に接するのはNHKの朝早い時間の「演芸図鑑」などや「笑点」などですが、笑点なども最初は無観客とか、リモートの大喜利とか、今は関係者がまばらに「客」を装う。 リモートにしたのは感染を恐れたからでしょうが、明らかにテレビを観ている人と距離がありました。テレビ以前の演芸はラジオであり、基本は客なし。マイク1本を通しての話芸などが確立していたのだろう。しかし、大喜利はテレビの世界が分かりやすい。 テレビは漫才コンビの独壇場みたいです。安上がりみたいに対談では指摘されていましたが、どうでしょうか。

nice!(0)  コメント(0) 

介護の重度化は [介護]




「福岡県のコロナ感染者情報流出 名前など9500人分 外部からデータ閲覧可能に2021/1/7 西日本新聞」というのをテレビで知りました。外部から漏れていると指摘があったのに1か月も放置していたとはなんたることか。この扱いが比較的小さいのにも驚きました。単なるデータだと思われているのかもしれません。症状など個人情報が詳しく書かれているようです。対応策を至急検討される必要があります。

次もショッキングな内容でした。「高齢者要介護度、全国的に悪化か 区分変更申請、緊急宣言後に急増―時事通信調査2021年01月01日」という。予測されたこととはいえ、身体機能の低下はショックです。

記事によれば
「介護保険の要介護度が進んだ場合などに出す区分変更申請の件数が全国的に急増していることが31日、時事通信の調査で分かった。専門家は新型コロナウイルス感染を恐れた高齢者が外出や施設利用を控えたことで、身体機能に悪影響が出ている可能性があると分析。『体力や認知機能の低下の危険にも目を向けるべきだ』と警鐘を鳴らした」と通所リハビリなどの利用控えの影響が見られるという。家族も父母のもとに帰省できず対応が後手に回っているのではないかという。こういった調査がなされたことにも意義深いものがあると思う。感染報道だけが目立っており、介護が必要な人にはリハビリに通わないリスクがあると専門家は言うと記事にはあります。

nice!(0)  コメント(0) 

民主政治は [感染症]


「社説 臨む’21 コロナ下の民主政治 再生の可能性にかける時毎日新聞2021年1月1日 」からです。 「そうした中、厄介な危機感が膨らんでいる。私たちの民主政治がコロナへの対応能力に欠けているのではないかという疑念だ。  民主政治は合意過程を重要視するが故に、意思決定に時間がかかるという欠点が指摘されてきた。それがコロナという容赦のない敵との闘いで顕在化した。  民主主義の旗手である米国で感染者が1900万人を超え、世界最悪となっていることが危機を象徴的にイメージさせる(一部引用)」  感染症について世界のリーダーたちにその恐ろしさを否定する人たちが少なからずいることに驚きました。社説が合意形成に時間がかかることを挙げていますが、他にも対応自゛)鵜の課題がありそうです。休校措置も、アベノマスクも時間の問題とは無縁ではないか。それらは、現実の問題とはあまりかみ合うこともなく有効なものとはなりませんでした。側近政治は民主政治とは縁が浅いはずです。 今回の宣言は効果を挙げるのでしょうか。思い切った施策で経済活動を規制しなければ効果は期待できないのではないかと思うがどうだろうか。



nice!(0)  コメント(0) 

町を残す [街]

「コラム もっと小さくボロく 吉田昭一郎2021/1/6 西日本新聞 」からです。  「『ビッグバン構想』で高層ビルの建設が進む福岡市・天神が勤め先。昼食時、少し離れた大名地区に足を延ばすようになった。天神で親しんだ食堂などが姿を消す一方、まち歩き取材を通じ大名・紺屋町にいい定食店を見つけたからだ。  町は藩政期のままの細い街路に店が軒を連ねる。定食店は昭和の雰囲気があって、ほっとする。目玉焼きをのせた野菜炒め定食の味が素朴で懐かしい。近くに創業90年近い和菓子店がある。あんこは北海道の小豆を仕入れて手作りする。いいあんばいの甘さだ。どちらの店も地域に根付いて、常連さんらを裏切るまいという心を感じる(以下略)」 今の明治通りから大名地区辺りまでは道路がクランク状になったりしています。敵の進入をしにくくして、待ち伏せしやすい工夫がされていて、今もその道路がいくつか残っています。武家屋敷の大銀杏は今も守られています。 「ビッグバン構想」とは、福岡市の中心部の大規模再開発が進んでいることを指しています。また、天神地区の追加の事業として、西鉄福岡駅とつながっている新天町の商店街とパルコとの一体開発が動き出すという。 コラムにあるように大名・紺屋町辺りは昔の空気を感じます。昔と言っても昭和の雰囲気ですが、それでも街は変わっているように感じます。新天町の今の雰囲気を残しながら店舗を変えていくことは難しいことのように感じますが、そこからスタートする歴史はあるわけです。その街で働き・暮らす人の息づかいを感じる街であって欲しい。

nice!(0)  コメント(0) 

生きものは [社会]


大相撲が始まりました。感染したりした力士が多く不安な出発になったようです。両横綱の欠場が重たいです。これだけ休んでは横綱の重みが問われかねないのではないか。感染の広がりによって、途中の欠場状態によっては中止もあると思う。年寄りの楽しみがまたひとつ消えることになります。人命に関わることなので楽しみなど言っておられないのですが。  いやいや私など年寄りの世界より広い社会がありました。私が育った地方は米作地域でしたのでいろんな経験をしました。教室でフクロウを飼ったり、ザリガニをつかまえたりしました(衛生的には問題がありそうですが)。ホタルも夏の入り口頃飛びかいました。農薬が支配する田んぼになった頃から、生態は変わりました。どじょうなども消えていきました。  引用したコラムには海との関わりがある子どもたちの様子が紹介されていました。 「春秋 小学校に海がやってきた2021/1/3西日本新聞  全国の五つの小学校に昨秋、海がやってきた。海の環境を再現した水槽とヒラメの稚魚10匹が届いた。上級生が育てている(略) ▼各校の日記から-。「楽しそうに泳いでいる」「とびはねるので服がぬれた」「茶色いうんちがふえた」「ヒーターのうしろに2匹かくれていた。寒いのかな」 ▼以前「おさかな天国」という歌が列島中に流れた。子どもたちも歌った。<さかなをたべよう…>と楽しく歌える。小さな海がやってきた学校の児童は、海の命をじかに体験し、感謝の気持ちを自分の中に育てる(以下略)」

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。