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植物はなぜ動かないのか [歴史]



「植物はなぜ動かないのか」という本を読んだことがあります。子孫を残すために様々な工夫をしているのだと教えられました。次のコラムみたいに自身の寿命を延ばしていく話が神秘的です。それは生命力だという。それで厄介だと思ったのは、新聞によれば厚労省によると、今年の2月から6月4日の間でワクチン接種後亡くなった人が196件あるという。ワクチンとの因果関係が不明という。生命力があるのに奪われていないか。厄介な話であります。動かぬ樹木の生命力。動ける人間がある意味非情な寿命を閉じてしまいます。 「コラム テスク日記 樹木の生命に敬愛 西日本新聞2021/6/13 河野 潤一郎 」では、  「梅雨の晴れ間、佐賀県太良町の山林は緑がまぶしい。『細根や葉脈といった樹木の器官は驚くような機能を持っている』。同町森林組合の村井樹昭(しげあき)組合長(76)は植林したスギやヒノキに深い愛情を注ぐ。林業に携わって半世紀、名前『樹』と付くことからも、天職と言えそうだ。  組合の製材加工施設の敷地に『樹魂碑』が設置され、1日に除幕式があった。樹木は会話も移動もできないが、何百、何千年も生き続ける生命力を持つ。村井さんによると、伐採した木の霊を祭り、その恵みで生活できることへの感謝と林業労働者の安全を願い碑を建てたという(以下略)」  林業労働者の安全を祈る人たちを見守ってくれている樹木に感謝したいですね。

 











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悲しみと怒り [平和]



沖縄には仕事などで行ったことがありますが、沖縄を支える悲しみと怒りがどれだけのことかと思います。嘉手納基地の騒音を思いだすだけで身震いがします。それに加えて先の大戦で唯一の地上戦があった場所です。こう書き始めていても沖縄が受けた打撃に少しもふれていないように思えてきます。それでも、語り継ぐ必要があると思います。「沖縄の悲しみと怒り」という記事がありました。 「コラム 沖縄の悲しみと怒り 野村創 2021/6/11 西日本新聞」では、沖縄県読谷村の彫刻家金城実さん(82)さんのことを詳しく紹介しています。 「アトリエで今後の構想を熱心に語る姿から、創作意欲が今も全く衰えていないことが伝わった。『闘う彫刻家』とも称される金城さんの原動力は何か-。私の問いに『悲しみと怒りかな』と答え、こう続けた。  『怒りは、悲しみと優しさに裏付けられたものでなければ、本物の怒りにはなり得ない』。苦難の時代を生き抜いた沖縄の人の心に触れた気がした(一部引用)」





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縄文時代は [歴史]



「コラム 春秋 ミニチュアは縄文から?2021/6/9 西日本新聞」は縄文時代という時期を 豊かな知識をもつ人たちの歴史であることが伝えられています。ミニチュア土器がたくさん出てきて、どんなに使われていたか興味深いものだという。 「▼5千年前の日本にもミニチュアがあった。ユネスコの世界文化遺産へ登録される見通しの「北海道・北東北の縄文遺跡群」。三内丸山遺跡(青森市)では10センチにも満たないミニチュア土器が2500点以上も出土した▼土偶や装身具と一緒のケースが多く、祭祀(さいし)用の可能性があるそうだ。幼子がままごとに使った日もあったかも。縄文文化に詳しい九州大大学院の古谷嘉章教授は近著「人類学的観察のすすめ」でミニチュア土器に触れ、<手にした人々を日常から引き離し、別のスケールの世界へと誘ったのであろう>と書いている(一部引用)」 歴史にもいろいろな解釈がなされています。江戸時代の「士農工商」は身分制で難渋した庶民という図式を教わったのですが、最近ではゆるやかな制度のように言われているようです。縄文時代の遺跡の発見が遅れたこともあり、あまり豊かな暮らしなどが分からないできました。これからの研究に期待したい。ユネスコの世界文化遺産に登録されたら研究にも弾みがつくのではないかと思う。
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「育休だけじゃない」 [働く]



「福岡社説・コラム  欲しいのは育休だけじゃない2021/6/10西日本新聞 斉藤 幸奈 」では次のようなことが書かれています。 「母親としてちょっと言いたい。確かに出産後しばらくはしんどい。でも復職してからだって同じぐらいに大変なのだと。保育所のお迎えには1分たりとも遅れられないし、小学生になっても急に熱を出す。綱渡りの毎日だ▼父親が育児休業を取りやすくするための改正育児・介護休業法が成立した。男性版の産休が新設され、育休を取るタイミングも柔軟になる。前進だとは思うけれど『日本はまだここなのか』とため息をつきたくなる(以下略)」 コラムでは、国の動きを待っておれない。企業に働きかける必要があると述べられています。ここまで来るのに何年かかったのでしょうか。40年ほど前、認可保育所を利用したいと思いましたが、利用できませんでした。無認可では、どうしても人手不足が否めなかったと思います。事故があっていました。企業に働きかけるのが近道だということですが、それも大きな課題ですが、この国の少子化対策の遅れを指摘することも大事かと思います。
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バブル連想 [社会]


 バブルという言葉も昔の話になりました。物価上昇では、物価はあまり上がらなかったという説明もありますが、公共事業などでは物価高騰になり、変更契約を余儀なくさせられました。そんなことを思いだしたコラムです。

「経済社説・コラム バブルの危うさ 2021/6/8 西日本新聞」からです。

「『バブル(泡)』という言葉には、どこか危うさを感じる。過剰な投機熱で株価や地価が上昇した1990年前後のバブル景気。実体からかけ離れて膨れすぎた泡は、ある日パチンとはじけて、つるべ落としのように景気が悪化した▼来月開幕する東京五輪でも「バブル」が導入される。入国する選手団のPCR検査を徹底した上で、外部と遮断した空間を作って感染を防ぐ『バブル方式』(以下略)」 オリンピックの風向きも得意の精神論で乗り切るというのだろうか。それとも、戦時中の中止になった五輪の亡霊が蠢いているのでしょうか。 平和を祈念するはずのイベントが利権になっているように感じられます。
 

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闘いの歴史かも [読書]



「石木ダム緊迫感増す最前線 長崎県と住民にらみ合い11年、迫る工期」(2021/6/8 西日本新聞)は伝えています。幾度となくテレビ、新聞が伝えてきました。それらを観たり、読んだりしていると、60年安保をからめての下筌ダムとリーダーだった室原知幸さんのことを思い出します。まだ、高校生になったばかりの頃でしたので何も知らなかったと思います。凄い人がいるという思いがしていました。 それを詳しく整理した本が出版されました。『現場――記者たちの九州戦後秘史』という本で、下筌ダムの反対運動について「時代は60年安保闘争の真っただ中。三池闘争は総資本対総労働の対決、下筌ダム紛争は公権対私権の闘いと呼ばれた」と記されています。炭鉱の落盤などにもふれていますが、北九州市の誕生の裏話などが含まれています。  西日本新聞記者による奮闘の姿が見えてくるようです。
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障害者差別解消法の動向は [障害者問題]


「点字毎日」では次のように法改正の状況を伝えています。日弁連がオンラインの集まりを開いた以外には目立った動きがなかった。 「日弁連は2019年、法改正を求める意見書を提出しており、(略)また、差別を受けた場合どこに相談をするべきかが現行法では明らかになっておらず、差別を受けた人が相談できる窓口を地域に作り、差別を受けた人が相手と話し合いができる仕組みを作れるよう求めている(一部引用)」 日弁連は提案のなかで記事の通り相談機能を提案しています。 「そうだんのしくみを! ★困ったときにかんたんに相談できる「センター」をつくろう。 ★差別をされたときに相手とはなしあいをできるしくみをつくろう。」 コロナ禍で介護を受けたりする人や、障害者施設の販売が低下していることなど現場の大変な時期で余裕が少ない中で盛り上がりに欠けていたように感じられました。こうした中でも、差別の対象を広げたことは成果だと言えます。




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言葉の力か [寛容な社会]



6月4日の西日本新聞広告に、同紙の女性投稿欄として今も続く「紅皿」から戦後のものを収めた『戦争とおはぎとグリーンピース』の宣伝文句が「日本の家庭に『戦争』が残っていた昭和30年代」でした。昭和30年代をよく表していると思いました。 そして、新聞をめくると『俵万智の一首一会』に苅谷君代という歌人の「『障害も個性』とふ記事に何となく頷くことのできぬ我がゐて」という作品がありました。失明していく過程などの感じたものが色濃く反映されています。そのなかには見えないことの恐怖などもあるでしょうし、いくつもの不便さもあるでしょう。私は別の障害者ですが、「障害も個性」というのは第3者としての感想のように思え、突き放された感じがしたものです。障害者としての屈折したものが影響しているのかもしれません。苅谷君代氏の作品が他にも掲載されています。 

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「移動難民」になって [読書]



「コラム  図書館は生活施設だ 岩田 直仁2021/6/1 西日本新聞」では、図書館の休業体制に対して「生活施設」なのだという読者の投稿欄の意見を紹介しています。 「『スーパーなどと同様、図書館は生活施設なのだ、という見識を自治体に求めたい』まったく同感。感染状況がもう少し落ち着けば、予約と貸し出しへの対応は可能になるのではないだろうか」としていまます。 さらに 「近年、公共図書館にカフェなどを併設し、地域のにぎわい拠点として整備する自治体が増えているが、本来の役割を軽んじては本末転倒だ。司書の非正規職員化の広がりには、かなり不安を覚える」という指摘には同感です。 持病が軽いうちは図書館通いも相当な距離を歩いていました。それでも、バスか、電車かなどの手段が必要でした。その後、一段と悪化して図書館には通えなくなりました。移動図書館もありますが、指定場所は公民館の広場で坂道です。電子図書館の自治体も増えているのではないかと思う。長短あると思いますが、折角のツールとして検討してもらいたい。  生活施設だという主張には意見はあろうが、非正規職員化により、対応は無理なのだろうか。移動が困難になっても読むことは大切な活動ではないだろうか。

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まともに考えられない [平和]


「コラム 九州に原爆9発の悪夢 2021/5/27思上別府 保慶 西日本新聞」からです。先の対戦で本土決戦に備える「武器」が戦国時代かとわせます。いかに無謀な戦争だったかということが分かります。  「太平洋戦争の敗色がいよいよ濃くなった1945年4月、大本営は国民に本土決戦の心構えを説く冊子「国民抗戦必携」を出した。  上陸する敵とどう戦うかを解説する章には「銃、剣はもちろん刀、槍(やり)、竹槍から鎌、ナタ、玄能(げんのう)、出刃包丁、鳶口(とびぐち)に至るまでこれを白兵戦闘兵器として用いる」と書いている。玄能とは金づち、鳶口は建物の解体などに使う道具。なんとも戦国の落ち武者狩りめいた武器の一覧だった」 玄能とは「かなつち」の中のひとつの種類ではないかと思うが、確信は持てないが、次の説明が分かりやすい。 「『かなづち』のうち、打撃部分の片側が平らに、片側がわずかに凸状になったものを「げんのう」といい、漢字では「玄翁」や「玄能」と書きますhttps://lowch.com/archives/11214 」 玄能の違いを詮索していても解決すべく回答はないことを示しているのだろう。どんな議論でまとめ上げられたかに興味はそそがれる。信じて疑わないで負けない「神の国」ったからか。原爆と金づち編としか呼べない。白兵戦を想定しているなかで、原爆投下は想定外だったのでしょうか。 ◆気になるニュース  これを書いている頃にはオリンピックの海外選手団が到着しています。開催するという機関にとってどういう利益があるのでしょうか。なによりも安全なオリンピックが前提だと思えるのに、大義名分はあるのでしょうか。

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