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泣いていない [震災]



泣くという行為は、成人してから、なかなか出会えません。身内の葬儀でも泣けないことがあります。 「私は一度も泣いていない 大震災【記憶を刻む】2021/3/20 西日本新聞 植松南美さん(23) =東京都、宮城県石巻市出身  10年。私は一度も泣いていない。家も学校も先生も友達も親戚も近所の人も、多くの大好きなものを失った。だけど、この10年、私は一度も泣いていない。  私は遺族じゃないから。遺体安置所や避難所、友人。私よりもっと悲しい人がいるんだから、私よりもっとつらい人がいるんだから、泣いてはいけないと、子どもながらに思わざるを得なかった。大人にならなければならなかった(以下略)」 自分が助かったことで自責の念にかられているのだという。多感な時期を泣けないで過ごしたことは命の重みを感じさせてくれます。 10年後でも余震だという地球の営み。震災と老衰での死を比較するものじゃないとお叱りを受けそうですが。 それにしても、復興五輪などと欺瞞的にも見えることが語られています。原発は汚染水の処理さえ得出来ていません。それを廃炉作業の行方も見通せないでいます。避難した人の生活はなりたっているのでしょうか。

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