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駅中のピアノのように [寛容な社会]


「コラム 春秋 幸せの縄だけで編んである人生は?2021/3/10 西日本新聞 「禍福はあざなえる縄のごとし、ってどんな意味?」。毎日会うほど仲良しの友に尋ねられ、向田邦子さんは答えた。『幸せと災いはね、代わり番こに来るの。幸せの縄と不幸の縄とがあざなってできているのが人生なのよ』。さらに『でも、幸せの縄2本だけで編んである人生はないの?』と問われ、向田さんは『ないの』と笑って返した(以下略)」。 このコラムの中では、読者の声として「月1ページでよいから心休まる記事」をとの要望を紹介しています。向田邦子さんは飛行機事故で亡くなりました。パソコンでも「むこうだ」と入力すると「邦子」と変換リストが出てきます。  3.11が近づくと遺族の思いが紹介されています。そこでは共に涙し、時には励まされる記事があります。最近だと西日本新聞では「テレプラ」という電話での読者の声の欄があります。そこには、子どもたちの投稿時の挨拶に元気をもらうなどとの励まされる話があったかと思います。すると、読んだ私もほっこりします。私は最近よく耳にする「駅中ピアノ」のようだと思います。NHKテレビで時々放映されているのをみると「人生」のひとコマに出会ったように感じます。ピアノを弾く人の思いもありますが、通り過ぎる人への応援歌に聞こえてきます。ピアノを通じて人の思いが交錯しているように感じます。他のほっこり記事としては「記者のコラム」もあります。年寄りには楽しみです。 3.11では、震災で親を失った子どもたちの10年を知りたいと思う。

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