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被害の怒りが [震災]

 この秋に、ある障害者団体の全国大会(オンライン)が福島で開かれました。オンラインということでなんとか大会の形式になっていましたが、隔靴掻痒という感じは拭えません。そのなかで、胸を締め付けられる思いがしたのは、画像で流された、無人の村落の荒れようでした。無人の村落の姿についてナレーションなしで「怒り」を示すわけでもないのに、胸が締め付けられるようで苦しくなりました。それは自分のなかでも風化していたことに対する怒りでした。画像のひきつける力はすごいなあとも感じました。除染作業で片付けられた土はどのように管理されているかは詳しく知りませんが、いかにも迷惑物になっているように感じました。10年を経た今、何を語ればいいのだろうか。  次のコラムにも時期を受けました。 「コラム 原発事故の地に生きるとは 吉田昭一郎 西日本新聞 2021/11/20 」  原発事故で被災した福島を思うとき、まずその名が浮かぶ。放射能で汚染され、全村避難を経験した飯舘村の元酪農家、長谷川健一さんが10月22日に亡くなった。享年68。甲状腺がんだった。昨春、村を訪ねた初対面の私に、心境を率直に語ってくれた。(略)  11年春の福島第1原発の爆発で、飯舘村には飛来した放射性雲から雨雪とともに放射性物質が降り注いだ。行政の対応は遅れ、避難指示が出たのは約1カ月後。地域の世話役だった長谷川さんは村民たちの避難を見届け、飼い牛を手放し、その年の夏にようやく村を離れた。(一部引用)

 

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