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軸は [高齢者]



「コラム デスク日記 コロナ禍の時代を『貫く棒』2021/2/14西日本新聞 下村 佳史」からです。  「『去年今年(こぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの』。明治-昭和期の俳人、高浜虚子の句である。この作品に出合ったとき、思わず身震いがした。人は『去年今年』と、区切りをつけながら生活するが、時は1本の『棒』のように連綿と続く。(略)  あらがいようのない時の流れの中で、人は生きている。『貫く棒』とは、時間の本質を見抜き、確固とした信念を持って日々の暮らしを送るという自負心をも感じさせる。(以下略)」 時の流れで非情にも老いていきます。社会のスピードに追い付けずに時代遅れの発言を 繰り返す。我が家の家族もまた理解できない言動にとまどうのかもしれない。3Gはなくなるそうで「スマホデビュー」みたいなものを強いられる。社会の都合に合わせられないのはお払い箱か、掃き出されるゴミかという発言は、唯一同調できるものでした。年寄りには相応の生きがいを用意すべきです。といいながら来年の喜寿を誇りにしています。ただ、生きるだけで良いのですかと問いつつ。確固とした信念も時代の変化に適合しなければならないのでは。そうでなければ定年制を導入すべきです。「貫く棒」の古さを否定しただけでは終わらないように思えます。

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