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不要不急のはなし [寛容な社会]


コロナ禍の第2波というか3波というかがやってきた。そして、テレビでは、「不要不急」の移動・外出の制限を呼び掛けています。それでも、テレワークなどの出社に及ばずというのは効果が出ていないという。ここに小さな反乱があるのではないだろうか。出社に及ばずと言われた人の中には、自宅でもできる仕事だけを「やらされている」という意識が芽生えていないだろうか。長くなれば同僚意識も薄れるのではないか。そして、私抜きの会議で大事なことが決められていないかと、気が気ではなくなってしまう人もなかにはいるだろう。 コロナ禍で人間の存在基盤が犯されているように思えます。そのひとつが自殺者の増加です。それは、コロナ禍が見せた国家像に対する絶望ではないか。ここで働いて、生き抜いたとして何が見えてくるのだろうかとの思いがあったとしても生き続けなければならないのではないか。数年前『漫画 君たちはどう生きるか』が話題になりました。そのなかにこんなことが書かれています。 「僕たちは人間として生きてく途中で、子供は子供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それは誰にとっても、決して望ましいことではない。しかし、こうして悲しいことや、つらいことに出会うおかげで、僕たちは、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ」と。 共に考え、悩みながら この国を変えていくことはできるのではないか。 ■今日気になったこと  尖閣諸島について日本の安全保障の範囲であることのアメリカの態度が不変であると安堵しているという。経済面で中国の占める比重が高く、表向き対抗できないと思う日本政府は、日中問題なのにアメリカ依存になっていないか。

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