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心配ごと [高齢者]



福岡市の中心の天神・新天町にはメルヘンチャイムがあります。40年前に設けられたものだと西日本新聞が伝えています。西鉄電車天神駅を降りるとコンコース沿いにあります。新聞には40年前からメンテナンスしている人たちがいるという。部品の供給に不安はあるが何とか続いて働いてもらいたいという。 先のメルヘンチャイムの噺ではないが、「先々のことを考えて不安に思うよりは、今の自分を充実させることを優先させよう」と思ったが良いという(『65歳何もしない勇気』樋口裕一)。妻が自分より先に逝ったら三度の飯はどうしように始まり、どういう葬式にするかまで、ぐるぐると回転してしまいます。あなたの我が儘だと言われたら仕方がない。別の心配ごとに乗り換えよう。

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友が減っていく [高齢者]


作家の森村誠一氏は次のように書かれています。「友がいなくなるというのは、自分の存在が薄れていくことである」(『老いる意味』)。友と言えるかどうかは分かりにくいと思います。仕事関係の場合は損得の思惑もあるでしょう。 FBCEBOOKの友だちは「友」と呼べるのかどうかと迷います。 ある新聞社の論説委員は年賀状のやりとりは3通ほどだと述べていらっしゃいます。老いると、11月には「喪中」の挨拶が届きます。コロナ禍で大変な1年でした。喪中の連絡が届かずなどで年の初めのあいさつを送ったこともあります。今年はどうなることでしょうか。 私の目下の課題は3000歩1回の散歩で歩けるようになることです

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オンライン授業は [社会]



 かつてテレビが茶の間にはいってきたとき、テレビがある家に集まり10人.20人一緒になって見た日のことを思い出しました。テレビがある家では迷惑な話なので子どもが中心でした。 今日の西日本新聞のコラムに「デスク日記 ショックだったオンライン授業の現実2021/10/5 」エピソードには驚いた。ある教育長の話では、「その自治体では、自宅にネット環境がない、あるいは不明という児童生徒の家庭が5割を超えているらしい」。オンライン授業など考えられない。テレビが入った時期と今では社会の環境が異なります

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灯台守がいた時代 [社会]



昔、農家の庭先などで映画を上映していた時期がありました。娯楽がなかったときに、神社なども含めてあるときは浪花節大会などの大衆演劇が実施されていました。最近、繰り返し浮かんできたのが映画『喜びも悲しみも幾年月』という灯台守が主人公のものです。家族が苦労するのは学校でした。場所が場所だけに学校までの距離が遠いですし、子どもと別居せざるを得ないこともあったようです。映画版は1957年で、世の中は60年安保にむかっていた頃です。もちろん、そんなことは無関係で農村地帯で暮らしていました。 世の中「なんとかなる」などという楽天性が基本にあるというのは「他者への信頼」だという。『65歳何もしない勇気』という樋口裕一氏の本のなかにあります。これがなかなか難しい。映画『喜びも悲しみも幾年月』の世界は他者への信頼だったように思いました。


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時は止まらず?



「時は止まらず流れゆくもの、決して貯まるものでない。私は、そう思って生きてきた(略) ドキュメンタリーとは、コツコツ、ゆっくり『時をためて』作り出されるものではなかっただろうか。」と阿武野勝彦氏は「さよならテレビ」のなかで述べられています。ドキュメンタリーなどは年輪を重ねるようなものだとも指摘されていて考えさせられます。人の一生も過去という樹木の年輪で彩られているのではないでしょうか。過去という厄介なものではありますが、たっぷりと時間だけはあるのだから、過去の物語を問い続けているのでしょうか。現実に戻ろう。過去を書き換えることはできないのだから。

生老病死が四苦だという。 うまく言えないけど

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