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私たちのことは 私たち抜きで決めないで [高齢者]



「私たちのことは 私たち抜きで決めないで」というのは強烈な力を発揮しています。障害者福祉の分野から主張されだしたものだと思いますが、今や高齢者福祉というか、認知症の当事者からも声があがっています。丹野智文氏の『認知症の私から見える社会』では、「認知症カフェ」について次のように述べられています。
 どこの認知症カフェも同じかどうか分かりませんが、障害者福祉分野でも、私たちの思いから外れていることが少なくないと思います。
丹野氏は述べています。

「なぜ、参加しても面白くないのか?それは『場』が家族の困りを解決しようとする『場』だからです。当事者の困りごとを解決してくれる人が、その『場』にいないのです。
 家族は、隣りに当事者がいるのに『この人がいると目が離せないので私の時間が全然なくなりました』など、自分の気持ちだけを吐き出すことがあります」

ここでは、介護保険のどういう制度が変えるかどうかが話題の中心になりがちで家族の思いだけしか語られていないか、家族の思いが中心になってはいないかということが問われているのだと思います。家族の思いは・・・。


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寂聴さんが [高齢者]

寂聴さんが

寂聴さんが逝きました。会ったことも、話を聞いたこともありません。それでも悲しいのです。器が大きいというか、自分に忠実というか。

今日の西日本新聞の「コラム 春秋 2021/11/13 」からてす。

「▼寂聴さんが99歳で彼岸に渡った。卒寿を過ぎても意欲は衰えず、ひたすら書き続けた。『書くこと』と引き換えに家族を捨てた償いだったのかもしれない。そのまなざしは命の尊さにも向けられた。平和を祈り、反戦を訴えた。包み込むおおらかさは被災者や苦難を抱える人たちの支えにもなった(一部引用)」

 高齢にもかかわらず、街頭デモに参加したりして、この国の進路に警鐘乱打していました。同じ新聞の読者投稿欄で、70歳代のお年寄りの生き方次第で先のことが決るみたいな意見がありました。
瀬戸内寂聴さんの長寿に近づくことも難しいか。

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孤独になれる [高齢者]



『65歳何もしない勇気』(樋口裕一著)は加齢するごとに出くわす年寄りの迷いにひとつずつ見識を示しています。模範解答かどうかは分かりません。年寄りになるということの準備になるのではないかと読みました。時は既に遅しとも思いますが。

「高齢になるということは、仲間を失い、自由に動けなくなり、交流の機会が少なくなり孤独になってしまうことでもあります。不幸にして配偶者を先に失うこともあるでしょう」と樋口氏は述べています。

11月になり、喪中の挨拶が届きます。随分と年賀状そのものも減りました。私たちの世代男性は、家事をやることが少なく、「ボーッ」と過ごしてきた人がいると思います。懸命に生きている人も多いでしょうが、配偶者の力がどれだけのものか思い知らされます。「自由に動けない」のは毎日の積み重ねがあります。運動不足はいろいろと支障をもたらしてくれます。樋口氏は孤独に慣れよと言っています。

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年寄りの勇気 [高齢者]


『65歳何もしない勇気』(樋口裕一著)の帯に次のようにあります。 「私たちは、人生で得た価値観をそのまま高齢者になっても持ち続けて、意味のない我慢をしたり、無理をしたり、気をつかったりもしています。もうそのようなことをしなくていい立場になっているのに、自分でしなければならないような気が、あれこれと仕事を増やし、気苦労を増やしています。そうして、むしろ自分でストレスを作り出しているのです」 年寄りになるといろいろなマイナス用件がでてきます。高齢者福祉では「フレイル」という高齢者の介護状態になるまでの状態を指すという。そのなかに「めまい」があります。先月「めまい」がありました。妻が話しているのに返事がないのに怒ってどなっています。妻の声が聞こえるのに返事ができません。10秒足らずのもののように思われましたが、病んでは、運動不足と耳の不調だと指摘されました。新たな課題ができました。気苦労が増えました。

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過去の人生に [高齢者]


驚きでした。高齢者向けの本ですが『65歳何もしない勇気』樋口裕一著を読みました。「過去の人生に自信を持とう」とあります。卑下しているつもりではありませんが、自分を肯定的に語る人に本気かなと思います。 樋口氏は続けます。 「高齢になると愛情を持っていることが幸せの尺度だと、書きました。  私はその基本になるのは自分に対する愛情だと思います(一部引用)」 思いだしますが、私が働いていた障害者施設の女性職員は休日になっても地域の研修会に参加するなどに参加して研鑽に努めています。そういう同僚に励まされていましたが、人生の楽しみはそれだけじゃないような気がしていました。樋口氏は、自分がしてきた達成感を覚えておくことが大事だと言うのだが



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シニア読書欄か [高齢者]



 妻に料理本を注文されたのでネット書店に登録をしました。その本は注文が殺到しているようです。料理という欠かすことができないことですからね。次に欠かすことができない話が老化の話です。ほぼ毎月注文しているのですが、そこには高齢者の生き方に関する本が1冊は含まれています。こちらも盛況みたいです。


「記者コラム 4年間吟味して選択を」(2021/10/26 金子 晋輔 西日本新聞)では、首相が「未来選択選挙」というが国政選挙は未来選択ではないかと問う。過去に都合の悪いことがあったというのか。

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老い方もバラバラ [高齢者]



 共通項が少ないし、関わりが少ないのがお年寄りです。あくまでも「一般的」にはですね。プロのように「戦力外」というのも普通のお年寄りにはありません。 「幸い、高齢者は多数決で何かを決めるような場面に立ち会いません。だから多数派工作も必要ありません」(『65歳何もしない勇気』樋口裕一著)。私の住む地域は地域の集まりも活発ではなさそうですし、老い方もバラバラです。回覧板の時に顔をあわせるぐらいでしょうか。犬の散歩をしたりするときぐらい挨拶をするぐらいでした。それでも、人間関係は断ち切れません。多数派工作というもではありませんが、全くないとは言い切れないと思います

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心配ごと [高齢者]



福岡市の中心の天神・新天町にはメルヘンチャイムがあります。40年前に設けられたものだと西日本新聞が伝えています。西鉄電車天神駅を降りるとコンコース沿いにあります。新聞には40年前からメンテナンスしている人たちがいるという。部品の供給に不安はあるが何とか続いて働いてもらいたいという。 先のメルヘンチャイムの噺ではないが、「先々のことを考えて不安に思うよりは、今の自分を充実させることを優先させよう」と思ったが良いという(『65歳何もしない勇気』樋口裕一)。妻が自分より先に逝ったら三度の飯はどうしように始まり、どういう葬式にするかまで、ぐるぐると回転してしまいます。あなたの我が儘だと言われたら仕方がない。別の心配ごとに乗り換えよう。

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友が減っていく [高齢者]


作家の森村誠一氏は次のように書かれています。「友がいなくなるというのは、自分の存在が薄れていくことである」(『老いる意味』)。友と言えるかどうかは分かりにくいと思います。仕事関係の場合は損得の思惑もあるでしょう。 FBCEBOOKの友だちは「友」と呼べるのかどうかと迷います。 ある新聞社の論説委員は年賀状のやりとりは3通ほどだと述べていらっしゃいます。老いると、11月には「喪中」の挨拶が届きます。コロナ禍で大変な1年でした。喪中の連絡が届かずなどで年の初めのあいさつを送ったこともあります。今年はどうなることでしょうか。 私の目下の課題は3000歩1回の散歩で歩けるようになることです

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面倒くさくなる [高齢者]


 年寄りの楽しみのひとつとして大相撲があると思います。新横綱の照ノ富士の優勝でしたが、両大関が8勝ということもあり、盛り上がることもなく場所を閉じました。報道によれば白鵬が引退するともいう。テレビの前の年寄りは盛り上がることがない。 話は年寄りの話です。 作家の森村誠一氏は次のように述べています。 「高齢者になると、話しかけてくれる人が減っていきやすいだけでなく、本人も話しかけられるのを面倒くさがる面がある」(『老いる意味』)。 人と話さないと緊張感が保てなくなるとも述べています。先日、妻と話していると言葉が続きませんでした。言葉が思うように出てこないのです。どうしたのだろうと不思議な気になりました。言葉をうまく引き出せないのでする突然のことでしたので頭の中が整理できませんでした。森村氏は犬との散歩や町内会の集まりに参加することを勧めています。
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